2011年5月20日金曜日
村上春樹のノルウェイの森の映画化にビクともしなかった私。
アダムの家で金曜のディナーを頂いている時、皆がワイワイと話している中、隣合わせの私とアダムは無言のまま黙々と食べていた。
なんとなく気まづく、つい、
「この週末、『ノルウェイの森』でも見る?」と言ってしまった私。
ロンドンの街中をウロウロしていた先日に見かけた、このポスターのせいだと思う。
まぁ、でも、忙しいかもしれないし忘れてるかもしれないし、と思ってると、次の日に電話がかかって来て、しどろもどろに対応してるうちに、映画を見る手はずが整っていた。
観ないでおこうとも決めてなかったほど、全く観る気がなかったのに、つい、成行きのような感じで観ることになった映画はこれが初めてだと思う。
結果、観て良かった。
しかも、ビデオまで借りてわざわざ見ようとは思わなかっただろうという点で、映画館で観て良かった。
この本が出た時は高校生で、担任の先生が、この本読んだんだけど、なかなか良かったよ、、と授業中にぼそぼそっと紹介したのが原因だった。
早速読んで以来、多分他の読者と同じようにその世界にどっぷり浸かった。
何回も繰り返し読んで、その時期も過ぎると、今度は適当にページを開いてはその個所を読むという、まるでバイブルかなんかみたいな使い方をしていた。
そして22年後、それが映画になると聞いた時は、「だいじょうーぶか、村上春樹さん??」、とは思ったけど、嫌だ、止めてくれ!!と思うほどにはショックではなかった。
多分、あの頃から、長い時間が経っているせいだと思う。
22年という、ものすごい長い時の間に、ノルウェイの森は私の中でしっかりと一つの世界を作り上げてしまっていて、映画のそれは、もう私の知っているノルウェイの森とは全く関係のないものだと最初から決めてかかっていたせいだと思う。
だからまるで、タイトルが同じというだけの全くの別物という感があって、映画に関しては全くのノーチェックだった。
本当に気にもしていなかった。
ポスターを見かけた時も、あぁ、映画ちゃんと本当に作られていたんだな、って思っただけだった。
だから、映画が始まってすぐにびっくり!!
松山ケンイチ?!!!!!
菊池凛子??!!!!!!
マジで?!!!!!!!!
ってことばっかりに気を取られて、なかなかストーリーに入りこめずにいた私も私、
少しぐらい下調べないのかよっ??!と自分でツッコミながらなんとか話に追いつこうとする自分も哀れな感ありだった。
感想から言う。
直子もワタナベ君もレイコさんも緑も、泣き方が私の頭の中の彼らの泣き方とはあんまりにも違っていたということ。
そしてワタナベ君と直子、ワタナベ君とレイコさんのセックスも、私の頭の中の彼らのセックスとは大分かけ離れていたということ。
要するに、やっぱり映画化だもんね、、、ということ。
まず、ワタナベ君。
松山ケンイチしか俳優業界では見当たらないのも確か、
しかしそれにしても、後半のセリフがみんな嫌味っぽく聞こえて来て、この、ワタナベのへそ曲がり野郎!! なんなの、その態度は!!としか思えなかった。しかも、嘘つき男にだんだん思えてきて、この、ワタナベのダーティー野郎!!と悪態まで付く始末に陥ってしまった。
確かに難しいセリフ回しばかりなんだけど、だったらもっと明るくサラッと言った方がワタナベ君だよね。
多分、長セリフをゆっくりはっきり言うように気を付けたせいで、更に嫌味感が増したんだと思う。
菊地凛子の直子。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。
むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむjむむむむむむむむむ。
そーか、そう来たか。。。
それにしても、バベルと同じだろ?と思う、直子像だった。
しかも、途中、直子が、うオーーーーーーーーーっと唸りだして泣き出した時はもうべっくらこいた。
そういう直子なの?と。
菊地凛子使ったのはやっぱり既に世界で少しでも名が知られている役者を一人くらいは使わなきゃ、、っていうのが理由だったのかもしれないけど、どうしてもこのキャスティングには無理がある。だったらいっそのこと、一貫して無言の直子にした方が観てる方には良かったかも。プレゼントもらって、これ私に? とか、開けていい? とか、か弱い声色を作るんだったら、いっそのこと。
決して菊地凛子のせいではなく、あくまで、製作過程の問題で。
レイコさん。
誰か分からない、初めて見る役者だけど、こんなミスキャストも前代未聞だと思った。
途中、何回も、「で、あんたって一体誰よ??」って問いかけなしにはいられない程のミスキャスト。
あのエプロン、なんで? どうして?
歌がひどいのは御愛嬌としても。
最後、ワタナベの部屋にヌボーーーッて現れるとこなんか、まさにヌボーーーー―ッで恐かった。
え、SEX狙い?!ってびっくり。
電気をどんどん消していくところなんか、本当に気持ち悪くて可笑しくて笑えた。
”間”的にトム・ハンクスの映画『ビッグ』を思い出して、ここでワタナベが電気付けたら笑うわ!って考えたくらい、気がそがれたシーンでもあった。
大体、私が男で、あんな風に女に電気消されていったら、恐いと思う。
で、ワタナベのセリフ、「本当にするんですか?」がきて、だろ?だろ?恐いだろ、ワタナベ、やめておけーーーーっ!!と思わず止めに入ってしまった。
でも、本のレイコさんとは全く関係ないです、ごめんね、レイコさん。
しかも、なんで顔がつるっとしてるんだ?
そーか、日本では顔が綺麗な役者しかいないってことか。。。
こうなったら倍賞美津子でも智恵子でも、使えば良かったのに。
大丈夫、どんなに年は取ったと入ってもそこは日本人、まだ若く見えるハズ。
レイコさんはもっと土臭い、静かにギターを奏でてブドウをつまむ人であって欲しかった。。。
緑。
なんていう役者かは分からないけど、この人の顔は日本を出る前に雑誌の表紙を飾っているのを見て、あぁ、この子が緑するんだ、ってことは知っていた。
彼女は新人らしく丸きりのセリフ棒読みだったけど、それが功を奏して、なかなか緑だった。
足が綺麗なとこにオーディションで重点を置いたのがはっきり分かる美脚の持ち主で、ミニスカもサングラスも似合っていたし、毛糸の帽子も。
ただ、やっぱりもうちょっと明るくてもいいんでないか? ポルノの話なんかするんだから、カラッとした明るさが欲しかったところにヌメッとしたセリフ回しが恐かった。
永沢さん。
まぁ、 外見とかは良いとして、この永沢さん、どこかで自分のやっていることを悪いと思っているような人間臭さがあったなぁ。芝居するにはちと難しい役だよね。ただのカッコつけのシニカルさや冷たさじゃないもんなぁ。。。
ところで小説の中で私が一番影響を受けたのがこの人かな。
永沢さんが自分がどんなに努力しているかということを話していた箇所で、
高校生の私は“本当だな、私がしてるのは努力じゃないな”と思って、以来、ことある度に、永沢さんを思い出す。
でも、だからといって現在に至るまでに私が努力する人間になったかといえばそうではないんだけれど。
それでも、この人の強さとか、独自の哲学とかは結構私の役に立ったような気がする。
ハツミさん、ミッドナイトブルーの服を着たハツミさん、キューを握って髪の毛をクルンと耳にかけるハツミさん。
映画の中の彼女、ルックスはハツミなのかな。
でも、「私、渡辺君に聞いてるの」のレストランのシーンでは、やっぱり彼女も怖い。
純粋な質問と言うよりは、永沢さんに当てつけた詰問口調なとこなんか、やっぱりもっともの哀しげに静かに質問した方が、ハツミさんだよな、、と思った。
キズキ君。
顔的にキズキくん。
だから尚更、菊地凛子の直子とは合わないような。。。
と、こんなかな。
突撃隊もなんとか出してあげました程度だし、
大学教授の糸井重里も「ギリシャ悲劇より~、、、」と言うセリフが何とも大変そうだったし。
そりゃーあんな、登場人物全員が実はみんな主役ですみたいな物語を2時間映画になんてムリだよな、、と同情はするけど、
それにしては結構ロングショットも無駄に多かったような。。。
すると、一体全体もっと何とかならんかったのか!☆!☆という感がどうしてもしきて、
そう思うと、演技の前に、ストーリー構成とか、編集とか、演技以外の所で何かもっと違ったら、2時間という枠の中でももうちょっと何とかなったんじゃないかなぁ。綺麗なシーンで雰囲気作りというよりはディテイルで雰囲気作るとか。
フランス映画というよりはウッディ・アレン映画のような。
準備期間が短かったのかな?
脚本づくりと、キャラ作りに時間かけなかったとか?
例えばタランティーノ監督みたいに映画を撮る前からもう頭の中では全ての絵が決まっていて、脇役に喋らせるセリフも一字一句決まっているようなのは極端だとしても、最初から最後までの流れがある程度映画作る前から来上がっていない映画はぎこちなさがどうしても出てしまうよなぁと思う。
そう、簡単に言うと、この映画の流れ全体がとてもぎこちない。
編集で切ったり貼ったりを繰り返しされたテープのような感じ。
あれれ、なんだか否定的なことばかり書いてしまったけど、でも、結論は最初に言ったのと変わらず、やっぱり観て良かったと思っている。
こんな風にあの小説を捉える人もいるんだと思うと、改めて人間それぞれだよね、と思うし。
もともと村上春樹さんもよく言ってるように、言ったん書き手を離れた小説は読み手の物で、解釈なんてそれこそ人の数ほどあるはずだしね。
ただ、人とノルウェイの森のことを話す機会がある度に、この人もあのシーンで同じように感じたんだな、と思っては”やっぱり?!”と嬉しくなって、もちろんそれは全ての小説がそうなんだけど、でもノルウェイの森に関しては、その人物像に対して持つイメージっていうのが結構ぴったり同じだったりした。
だから、今回の映画では、あれれ、こういう風に解釈してる人もいたんだ??って、ちょっとびっくリしたんだと思う。
あれれ、こんなセックスとこんな泣き方の解釈なんだ??って。
うん、それでもやっぱり、私の中のノルウェイの森はビクともしていないぞ!!
年取ったなぁ、私。
こんなポスターも作ってたんだ?!
まさにこれが私が持っていた本の表紙の上下巻。
高校生の心をくすぐったよなぁ!!
ホントだ、松山ケンイチ、菊地凛子って書いてある。そうか、あの緑は水原希子っていうのか。あぁ、こうやって少しでも下調べしていたら少しは違ったかも。。。
しかし、どうせだったら、監督だけでなく、役者も日本人以外使えば良かったんじゃないか?
面白いと思う。
そしたら日本人は字幕読むわけだし、違和感はその方が少ないんじゃないかな?
それか、ファン全員で作るの!
あぁ、エライことになるわ!!!
でも面白そう。。。
だって今回のこの、トラン・アン・ユン監督のバージョンでもすごい嫌いっていうワケではなかった理由はたった一つ、
たっくさんのノルウェイの森の映画を観てみたいと思ったから!!
例えば、ファン1人1人が作ったノルウェイの森を観れたら面白いだろうなぁ。
あ、この人そういう解釈!!とか、あれ、この人はそのシーン入れたんだ?とか、お、こいつ、なかなかいいラインを抜粋したね!とか、あぁ、私が大好きなエピソードこの人も使ったな!とかね。
ところでこの監督、昭和が舞台なところから、その当時の昭和の日本映画でも観て研究したのかしら?俳優陣の昭和的なセリフ回しは監督の意図?
あと、あのブラックアウトの多さはなんだったんだろう?
あ、気が付けばまた否定的な響きが。。。☆
でも、でも、決して嫌いではなかったのだよ。
多分また小説を読み直す時に映画のシーンが頭に浮かんでくるんだろうけど、それを考えても嫌悪感はないし。
これが本を読んで数年しか経っていなかったとしたら結構ムシャクシャしたんじゃないかと思う。。
やっぱり、それだけの年数が経ったってことで、年を取ったんだなぁ、私!!
そして今回ばかりは年を取ったことに感謝。
時間てすごいねぇ。。。
で、この映画はヒットしたのかしら?
追記:
ところで全く映画と関係ないところの話だけど、村上春樹さんの英語版のカバーには、ルックスがとてもアジアンな女性の半裸の表紙が多くて、ちょっとイヤだなぁ、、、と思う。
村上春樹さんのせいでは決してないんだけど。
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