テイラー・スウィフトで幕開けした今年のグラミーは、テイラー・スウィフトで終わったという印象だった。
オープニング「We are never ever getting back together」が流れ、あ、この歌よくあちこちで聞くけど誰だ?生歌がヘッタクソだな~とまず耳が惹きつけられ、画面を見ると、そこには不思議の国のアリスのような恰好をした細い女の子がこれまた不器用にパフォーマンスしている。
しかしアイドル的要素はたっぷりで、今度は目が惹きつけられたまま。
画面に彼女の顔がアップになってやっと、あれ? これ、テイラー・スィフトだった、、、と気付いた。
なんかどことなく雰囲気が変わったね、、と思っていると途中セリフが入り、
なんと、イギリスのアクセントで、
’’私、グラミーのオープニングに出るしね、
(だからあなたに戻ってるヒマなんてないしね、)
私たちが付き合うなんてこともう絶対ないわ!’’
と言った。
あちゃ~☆ これは元彼のイギリス人ハリーに当て付けているのね~☆☆と、モロ分かり。
そんなのっけから場内ざわついたグラミーの始まりは、ドレスコード胸脚見せ禁止のお触れが出回っていたにもかかわらずにまずJ-Loが胸脚見せてまた場内をざわつかせ、お次はケイティ・ペリーも続き、、と、なんとも騒がしい。
しかし後はもう、曲が流されれば耳にしたことがあるなでも顔は分からんな、、という人が私には一杯な受賞式だった。
感想;
1; ジャスティン・ティンバーレーク、復活で騒がれているけれど、久々のステージは相変わらず高音出して最初は’おっ!’と思ったものの、なにせ長かった!!
なんでそんなに長いのよ~☆と声に出してテレビにぶつけたほど、時間取り過ぎ。
途中で最前列に座っていたJay-Zが出てきて一緒にパフォーマンスし、自分のパートが終わるとまた舞台から降りて自分の席に戻っていった時はさすがに笑えて、
すごいなJay-Z, フツ~に出てきてきちんとラップしていってまたフツ~に席に着くなんて、、と、見どころもありだったが、その後もずっとまだジャスティンが続く。。。
ファン以外の人にはちとツラいものがあったと思う。
2;大好きなケリー・クラークソンがノミネートされていたのも知らなかったが、受賞してステージに上がる時の彼女のボテボテ歩きとドタバタっぷりとハチャメチャなスピーチの調和がお見事。
3;Jay-Zとビヨンセが並んで座っているのを見る度に、まるで教会でのセレモニーを見ているかのような気になった。あ、それはいつものことか。
4;エレン相変わらずかっこいい。ポーシャもショートヘアで良い良い。美人はやっぱりショートだよな。
5;去年は賞を何個も獲ったアデルは赤のドレス姿がキュートだった。声については脇に置いとくとして、彼女の超の付く美人顔+あの体型はつまり誰からも好まれる最強な組み合わせだな~と思う。
6;ブルーノも歌った。あの歌はいい。子供には聞かせられないところもあるけれど。ブルーノは去年に引き続き、すでにグラミーの顔になってきているんだな~と思った。以前から似ている似ていると言われれているスティングとの共演もしたが、そんなに似ているか?
6;そのスティングは相変わらずカッコいい。声量も変わらず。ポリスの歌は素晴らしい。もう60か? あれで? やっぱりアシュタンガヨガの力だな。ニックもやってくれよ。
7;リアーナ、相変わらず細っこいな。前より歌が上手くなっているから見ていてイヤじゃないな。それにしても寄り戻したクリス・ブラウン、バカボンに出てくるお巡りさんみたい。バカボンのお巡りさんは好きだけど、クリス・ブラウンはちょっとな。。。
8;ファレルも来ていた。いるなら歌っておくれ。
と、そんなしょーもない、アーティスティックなこととは全く関係ない感想ばかりだけれども。
そんな、なんとなくパッとしなかった2013年のグラミーだったが、全てはプリンスが出たことでぶっ飛んだ。びっくりだったよ。
プレゼンターで登場したプリンス様はクールさ全開。
そのフードのかぶり方何?!!その歩き方何?!、と、彼が持っている杖までがなぜか渋く見える。
彼から賞を受け取ったアーティストは大感激していたけど、そりゃそうだよね、名前呼ばれる前にプリンスが「この歌好きだよ」とつぶやくように本音っぽく言ったしね、
あのプリンスにそんなこと言われるなんて、賞獲得よりもすごい話だよな。。。
とにかくも、ブルーノのおかげか、最近は若い人たちの間で80’sや90’sの風が吹いているようだし、いい感じにはなってきているな、、、
と思っていたら、最後の締めで、今年もホストを務めたLL Cool Jがパフォーマンスし始めて、パブリックエナミーのChuck Dまで出てきた。
おぉ~!! むちゃくちゃ私好みだわと大喜びだった。
頼むよ、ここら辺でまた基本に戻ろうよ、、もうレイディ・ガガ系統はオバちゃんにはついていけないのだよ。。。と願う。
そうして後日談;
なんとテイラーも大人っぽくなるわけだ、もう23歳だって!
え、それで、まだティーンエイジャーのイギリスボーイと付き合って別れて、
’’もう絶対戻らないんだからねー’’
’’そんなヒマなんかないんだからねー’’
とか歌ってるのか、、、とびっくりした。
それにしても、あんなにラブリーな顔で生まれてきたなんて、まさに奇跡としか思えないよなぁ!!
そしてニックは言う、
「初めて見たけど、グラミー面白かったね!!」。
え!! マジですか?!
去年のオスカーに続いて、グラミーも見たことなかったとは。。。
いったいこの人はどれだけ私とかけ離れた人生を過ごして来たのだろう、、、と、不思議な気分になったのだった。。
2013年2月16日土曜日
2013年2月11日月曜日
スーパーボールとビヨンセ
今年のスーパーボールはニックが作ってくれたポップコーンを食べながら一緒に楽しむはずだったのに、なぜかまたケンカ勃発。
お菓子を食べながらテレビでスポーツを見るなどという、
そんなささやかな計画さえがむちゃくちゃになると、もう全く収拾がつかなくなっていたちょっと前までの私だったけれど、
最近ではそんな事態に陥っても軌道修正して楽しもうと、自分にかなりの念力をかけるようになった。
とはいっても無理やり感たっぷりなのであるが、それなりにこの技も段々と磨かれてきたらしく、今回のスーパーボールは最後までしっかりと一人で見て楽しむことが出来た。
人間の精神は鍛えることが可能なのだ。
だから、もし、厭なことがあったり、気分が落ち込んだりした時は、
私の楽しみは何にも誰にも奪わせないわっ!!
と、ちょっと芝居がかった調子で口に出して見て欲しい。
ホラ、強くなったようでしょう?
ポップコーンのお皿もカラになったしな。
しかし、精神が強くなるのと、神経が図太くなるのとの、その線はどこにあるのだろうか??
ところで今回のビヨンセ、すごかったね無敵だったね。
最初の方のステージでの立ち位置(寝位置?)がちょこっとズレていたくらいでその後は最後まで圧倒的。
ちょっと前の大統領宣誓式での口パク騒動のせいか、熱が入りまくったパフォーマンスだったけれど、
そのせいでか、終了後はなんと停電。。。
全てにおいてスケール凄過ぎなアメリカだったのでした。
ところであの口パク、理由は十分なリハーサルをしてなくて不安だったから、と。
それで弁明記者会見を開いたビヨンセ側の対応はさすがだし、
そこで歌って生の歌声を披露して報道陣を圧倒しまくって黙らせた方法も見事だけど、
いやいやちょっと待て。
ビヨンセが歌えるのは世界中が知ってますって!!
問題は大統領宣誓式のような場所で口パクをするなんて一流パフォーマーにあってはいけない行為だぞ、ということだったのに、
そこをスルリとボタンかけ違えるビヨンセ側はともかく、かけ違えられたボタンホール側が喜んでいたのが面白かった。
そうニックに言うと、
「いや、もともと、騒ぎになったのは、実はビヨンセはもしかして歌えないんじゃないか?って疑ったからだから、会見で生歌披露はそれを吹き飛ばす意味でのことだったよ」と。
実はビヨンセが歌えない??
ふぅん。。。
最初からボタンホールにもなっていなかったらしい私だった。
2013年1月16日水曜日
大久保祐映さんの死
大久保祐映さんという名前の大学生が死亡している状態で発見されたという。
電話で対応した職員は、大久保祐映さんに病院の電話番号を書き取らせ、タクシー会社の電話番号を番号案内の「104」で聞くように申しつけた。
どうしていいか一人では分からず、119番なんて自分だってしたくなかったが、これは非常事態に違いないだろうと判断しての末だった。
救急車なんかが音立てて来たら、恥ずかしいなぁなんて心配もチラッとはしたが、それよりもその激しい痛みに、自分に何が起こったのかワケが分からない恐怖があった。
いくつもの質問攻めにされた後、
「いいえ、かなり痛くて、こんな、今まで経験した痛みでそんなにひどくないなんてことはないと思います」
予想していた展開とは全く違う。。。
でも、いるんですよね~、ちょっと痛い程度とか、自分で行くのが面倒くさいとかで119番通報する人が、、と言うので、
死因は髄膜炎の可能性も、と。
山形大学理学部の2年生だった彼は、
10月31日の朝の5時11分という時間に119番通報したのだが、しかし自力で病院に行けると判断され、救急車は出動しなかったという。
そしてその9日後の11月9日に遺体で発見された。
死体検案書というものによると、亡くなったのは11月1日というからなんとも辛い話だ。
しかし、大久保さんが電話をかけた痕跡はなかったという。
この記事を読んだ時、
100%、職員側が悪いとすぐに思った私。
なぜなら、私も全く同じ経験をしていたからである。
私が23歳ぐらいの時、痛み止めをガンガン飲んでもビクともしない猛烈な頭の痛みに耐えられず、生まれて初めて119番通報した。
自分で言うのもなんだけど、小さいころからあらゆる痛みと闘ってきた私は人に比べて痛みに強い。
いつも感じる痛みを誤魔化して毎日を過ごしているようなものだったから、フツーの痛みなんてヘッチャラだったのはその頃も今も変わらないが、
しかしその時の頭の痛みやるや凄まじかったのは今でも覚えている。
まさに、自分頭を机にぶつけていたくらいで、それを何時間か続けた後はとうとう金属バットででも殴ってもらいたいくらい、どうしようもない痛さ。
痛み止めを飲んで横になり、数時間を苦しんだ後、
とうとう119番をしたのである。
どうしていいか一人では分からず、119番なんて自分だってしたくなかったが、これは非常事態に違いないだろうと判断しての末だった。
救急車なんかが音立てて来たら、恥ずかしいなぁなんて心配もチラッとはしたが、それよりもその激しい痛みに、自分に何が起こったのかワケが分からない恐怖があった。
そして、今よりずっと若いとは言ってもそれでももう23歳、電話口では丁寧な言葉使いを意識し、そうすることで少しでも平静を保とうとする気もあったのか、それこそ体の力を振り絞って冷静に自分の状況を伝えた。
すると。
「本当ですかぁ~?」と、なんとも間の抜けた声が返ってきた。
はい、かなり痛くてどうしようもなくて。。。
と伝えると、
「でも~、こうして電話、自分でかけてきてますよね~?」と言う。
一瞬相手が何を言いたいのかが分からず、
「はい、そうです、痛いのは私で、私が自分で電話しています。」
と言うと、
「じゃ~、そんなにひどくないんじゃないですかね?」と。
えっ??
「いいえ、かなり痛くて、こんな、今まで経験した痛みでそんなにひどくないなんてことはないと思います」
と、今でもはっきり覚えているが私はそう言った。
でも、いるんですよね~、ちょっと痛い程度とか、自分で行くのが面倒くさいとかで119番通報する人が、、と言うので、
あっ! そーか、そんないたずら電話なんかする人いるんだ!?と私はいきなり自分もそう思われているのかと思ったら焦り、必死になって、自分は普段痛みに強いこと、それなのにこれはフツーじゃないと感じると伝えた。
しかし、「あぁぁ、、、普段から体そんなに強くないんですねぇ? よくあるんですねぇ?」と、そっちに話が進んでいく。
一生懸命説明するが職員にはいっさい助ける気がないのが分かる。
するとその職員、私のことを周りに伝えているのか、それとも別のことを無線で他の職員に言っているのか、朦朧とした頭に何かが聞こえてきている。
お願い、助けてよ、、、と思っていると、
言われたのが、
「でも本当にひどかったら意識失いますからねぇ」。
びっくりした。
そしてここが私のいけないところだが、そんな状態と状況で、
なんと、力なくも、笑ってしまったのだ。
思い余って生まれて初めて119番したにもかかわらず、そんな、気のない職員の、どうしても救急車を出したくないんだという意思が、世間知らずの私にもしっかり伝わって、
なんか、すごいな~、
大人って、こういうこと、平気で言ったりしたりしちゃうんだよな~、
と、23歳でしっかり大人に分類される年なのに、そんなふうに思った自分をよく覚えている。
そして、
「それは、もちろん、意識はありますけれども。意識があったらこうして電話できていないわけですから」
と言うと、その職員、
「そんな冷静に話せるってことは大丈夫ですよ、お近くの救急病院にでも行ってください」。
しかし時は週末かなんかで、確か病院が開いていず、加えて足がなかった。
そもそもそんなことを調べる余裕なんて全くないのだ。
こうして電話しているのが、実はやっとなのだ。
そうしてそのことを伝えると、
「地域には必ず救急病院というものがあって、そこが対応しているはずです」としか返ってこない。
しまいに今回の事件と一緒のセリフ、
「104番にかけて調べてください」。
なんだか自分でもだんだん大丈夫なような気になっていった私は、全てが面倒くさくなって、そのまま話を終えた。
その時に受話器を下ろしながら、
この人達は私がこのまま死んじゃっても何も感じないどころか、そんなことも知らないままでいるんだろう、、と、そんなことを思ったのを覚えている。
そしてその後どれくらいが経ったのか、目が覚めた自分に気が付いて、気を失っていた自分がいたことを知った。
いや~初めてだわ~、本当に気を失ってたのか~と思い、
さっきの職員に電話して、「いやあのですね、さきほど意識を失いましてですね、、」と言ったら、
「でもまた意識戻りましたよね~こうしてかけてきてるんだから。」と言われるだろうと想像して笑えた。
いや、笑っている場合じゃないぞ、、と新たに受話器を握りしめあちこちに電話をかけ、唯一開いていた病院を探しだしたらそこは漢方の病院。
しかし藁にでもすがる状態の私はとにかく最大の効き目がある痛み止めさえもらえればそれでよく、父に頼んで行ってもらった。
痛み止めをもらい、そこで丁寧に親切に扱われ、それだけでホッとしたのを覚えている。
もらった痛み止めをその場でひったくるようにがぶ飲みする救急夜間で来た患者に驚いたのか、
帰り際は看護婦さんと先生が揃ってドアの所に立って「明日はきちんと病院に行きなさい」と言って見送ってくれた、その心配そうな顔に、とてもありがたく感じたのを覚えている。
そして部屋に戻るなり倒れたのだった。
次の朝、弟の剣道の合宿だったのかよく覚えていないが、付き添いで家にいなかった母親が戻ってきていて私を起こした。
ちょっと、ちょっと、病院へ行こう、と。
私は昨夜飲んだ大量の漢方の痛み止めが効いたのか、気分はボーーっとしているし吐きそうだけれど、気分が飛んでいてなかなか良かった。
もう金属バットでは殴って欲しくないな、、、なんて思っているから、あの救急職員が疑ったように、もしかして一時的なものなんかな。。とまで自分のことも疑い始めていた。
なので、「吐き気がするけど、でもだいぶマシな気もするし、寝てたら治るよ」と、どうしても外出なんかしたくない私は言い張ったけれど、
「何言っているの!! 服着たままぐったりしているのを今何回も呼んで起こしたのよ! 病院に行かなきゃ絶対ダメ!」と母。
その時、私も直感があったのか、
案外素直に、じゃ、行っておこうか、、、と私も思い直し、大きな病院に行った。
先生にはどんな状態だったかはいっさい言わずに診察が終わり、話があるからと別室に行くお医者様と母を眺めながら、早く帰りたいな~、特殊なインフルエンザかなんかで注射とかして、家で寝てなさいって言われるんだろうな~、、、なんて気楽に構えていたら、
いきなり母親の叫び声を聞いた。
そして、先生、先生、本当に大丈夫なんですか?!!と繰り返すばかり。
しょーがねーなー。。。私の母、また気がすぐ動転するからやりにくいったらないんだよな~。。
と、なになに、どうした??と聞くと、
「ミキちゃん、よく聞いてね、、背骨に針を刺すっていうの!!」と母が騒ぐ。
直接先生に話を聞くと、髄膜炎の可能性があって、髄液を取りださなければならない言う。
それを取り出して調べないことには、髄膜炎にかかったかどうか分からないと。
それで、先生にその時になって初めて昨夜の状態を話し、あんな痛かったのに今はそれに比べたらかなり良いこと、それを考えたら大丈夫そうだと言うと、
髄膜炎にもいろいろあり、一時的に落ち着く場合もある。しかしそれでも放っておくと脳に菌が移行するのが髄膜炎だ、と説明された。
そうしてどんなに安静にしていても、どうやらその菌は自分で出て行ってはくれないと分かった。
私が検査をお願いしたら、「ミキちゃん!!そんな簡単に決めて!! 背骨よ! 背骨に注射するのよ!!」と母が叫ぶが、もう選択肢は髄液を取って調べてもらうことしかないじゃないか、、、
髄膜炎かもしれない、そうじゃないかもしれない、
しかし髄膜炎の可能性が高い、と。
髄膜炎だった場合、ほっといたら死ぬと。
だったら検査するしか道がないじゃないか?
それで、デッカイ太いパイプのような注射器で、ズンと体の芯に響くような衝撃と共に髄液が取り出され、終わるとすぐに車椅子に座らせられた。髄液を取った後は歩いてはいけないというのだ。
なんか、大げさになってきたな~なんて思うのも束の間、すぐに結果が髄膜炎と分かり、そのまま車椅子に乗った格好で病室へ移動と言われた。
横で母は入院手続きや、とりあえず必要な身の回りの物などの説明を半分訳が分からないような顔で聞くことになり、
私は先生に、「じゃ、少ししたら私もウチに帰って入院の準備をしてきます」と言ったら怒られた。
そんなのが私の髄膜炎体験だったのだけど、
私とこの大久保祐映さんの違いはやはり一つ。
彼はたった一人だったということ。
可哀想に、下宿していたのでたった一人、朝方まで、多分相当苦しんだであろうその後に119番をし、会話を強いられ、それでも助けられることなく死んでしまった。
20年近くたった今も鮮明に思い出すあの時の悶え苦しんだ痛みを、彼はその時一人で切り抜けようとしていたのかと思うと、悔しくて悲しくて、口の中が苦くなる。
彼の母はさぞかし無念だろうと思う。
いつも思うのだけれど、そういう職員て、数時間したら「あの子きちんと病院行ったかな?」とか思い出すのだろうか?
後で思い出すようなら、そんな心残りをしないでいられる自分のためにも一応は救急車を呼んだ方が得策とは思わないのであろうか?
いたずらかいたずらじゃないか、
痛みの程度はどうなのか、
そんなことを電話のやりとりで出来る判断能力が備わっているのか?
今頃、その大学生とやり取りした職員は、
自分が見殺しにしてしまったその張本人の職員だと自覚しているのだろうか?
深く悔いているのだろうか?
私の時からもうそろそろ20年が経とうとしているのに同じことが繰り返され、私の時はラッキーで、彼の時は不運だったと、そう思うしかないのか?
知り合いのオーストラリア人はかつて消防士だった頃、
電話で話しているといつもポケベルがピーピー鳴り、
「ミキ、ごめん、火事だ、行かなきゃ」と、挨拶そこそこに電話を切り、
するとしばらくして彼からまた電話があって、
「また、いたずらだった! こんなのばっかりでうんざりするけど、でも出動しないわけにいかないだろ?」と言っていたもんだった。
ある日、彼の堪忍袋も爆発し、小さな火をおこして火事だと通報してきたその男の子達に、
「おまえら、嘘言う狼って話を知ってるか?!! 嘘ばかり言って人に迷惑かけて税金を無駄に使ってたら、いつか本当にお前達が困った時に誰も助けてくれないぞっ!!」
今日はつい、そう怒鳴ちゃったんだ。。。とその夜落ち込む彼がいた。
しかし、行かなければならなかったのだ。
どんなにおふざけ声だろうが、出動しなければならなかった。
私がその髄膜炎の時に電話で話した声は決しておふざけ声ではなかっただろうし、大久保祐映さんもそうではなかっただろうと思う。
オーストラリアの消防車が必ず出動しているわけではないかもしれないし、
大久保さんのいた山形の救急車が出動をセーブしているわけではないとは思う。
しかし、そういう職務にいる以上、緊急性がないので出動しないなどという判断を一職員に任せてはいけないと思う。
もうずっと前のことで、その時の会話全てをくっきりと書き出すことはできないが、他にも驚くようなことを色々言われたし、心配そうな声で詳しい状態を聞いてくれる事はとうとう一度もなく、それどころかそんな対応をされたことはこれからも一生忘れずに残ると思う。
だからこうして、大久保祐映さんのニュースを読んだ時に、
あーーーーっっ!! 私も同じ経験してる!!と即座に思い、
そして髄膜炎の可能性を示唆、、ってあるけど、多分それは髄膜炎だ、とハッキリ確信したのだった。
この事件があったのは2011年のことという。
確か、何かの非常事態には公衆電話でもお金がかからないで110番や119番に電話出来るようになっているから安心しなさいと教わったのはまだ1970年代の私が小学生の頃だったけどな。
2012年8月27日月曜日
ガガンボって何の為に生きている?
昨夜キッチンの壁にとまっていたガガンボを見て、いつものよりも大きいから記念撮影をした。
でもこうして写真見ると、比較対象が悪くてイマイチ分からないな~、ペンじゃだめだね☆
それにしても、いつもやる気なさそうに生きていそうなこのガガンボ。
しかしほんのわずかに開いていたキッチンの窓から入ってきたらしいからやる気はあるのか?
いや、多分ただ単に光に反応してふわ~んふわ~んと泳いできたのだろう。。。
やる気なしと見た。
子供の時は、「あしながおじさん」のあしながおじさんはこのガガンボだと勝手に思っていたんだけれど、
大人になってからは、
こいつはあしながおじさんでは決してないぞと思い直したほどのこの虫の脱力生態。
こんなやる気なさそうなのが、”少女を陰から支える素敵な男性”、なワケ、ないもんな、と。
そんな、餌さえも真面目に捕っていなさそうに見えてしまうガガンボだけれど、
いったいこの虫、何の為に生きているんだ?
なにが面白くて生きているんだ?
毎日何を目的にして生きているんだ?
と思うのはあくまで私の勝手、生態系とはそういうものではないのだろう。。。
あれ? 私だってガガンボのことは言えないぞ、
いったい何の為に生きているんだ?
何が面白くて生きているんだ?
毎日何を目的にして生きているんだ?
同じ質問を自分にしてみたら、
ガガンボとおんなじ?!!というしかない。
人から見たら、さぞかし人生やる気もなさそうに見える生活を送っていることだろうし。
いや、でも、私も生態系に必要だから、、といってみたところで、本当か??
もしかしてガガンボより存在の意味がない存在が私なのかもしれない。。。
そしてそんなことをガガンボ見ながらつらつら自分で考える私は、「余計な御世話じゃ!!」と自分に言える力がある、だって、41さいだからさ。
ガガンボだって、「余計な御世話じゃ!!こうして生きてるんじゃ!!」と思っているかもしれない。
けれど、世界には、たくさんの悩める子どもたちがいて、そういう子供たちが思い詰めて行き着くところまで行ってしまい、自殺する。
先日サンシャイン60から飛び降り自殺した日本の高校生の男の子のニュースを読んだ。
意を決して脇目も振らず、警備員をすり抜けて240メートルの所から飛び降りた、
その時の彼の頭の中と心の中はどんなに無の状態だったのかと思う。
そうしてつくづく、人間は自分で命を失くすことのできる不思議な生き物だと思った。
ガガンボは自殺なんて考えないだろうしな。
2012年8月1日水曜日
ジェンソンとルイスと、男はカネ?
発見。
この似てなさが良いね。
ジェンソンは以前は全く好きなドライバーではなかったのに、
今ではとても面白いレースを見せてくれるから好き。
勝っても負けても、その走りから得ることはとても多い。
日本の震災には寄付も真っ先にし、
ヘルメットには〝頑張れ日本”のサインをし、
その上、「日本人が助けてくれと言わないからと言って、彼らが助けを必要としていないわけではないんだ」と、
そんな繊細な言い回しを聞いた時はびっくりした。言い得て妙。
どこまで日本人のこと分かっているんだ?
ふ~む。。強くなったからこうなったのか、こうなったから強くなったのか。
そういえばガールフレンドの道端ジェシカちゃんも、以前は全然好みな顔じゃなかったのに、
今では好きな顔になった。
ジェンソンの影響か、慈善事業にも積極的だし、そういう意味で、日本ではなく、海外のセレブ基準法にのっとっている。
彼女の〝スピリチュアルなもの”好きは有名で、読書家とはいわれているものの、その読んでいる本のタイトルを聞くとほとんどがその系統、
集めているもの、すること、全てが〝スピリチュアル”、私が最も苦手とし、よって私の周りには絶対にいないタイプだ。
しかし、このカップルの変化を見る度に、
2人でポジティブオーラを分け与えている、まぁ言ってみれば理想に近いペアの在り方なんだろうな、、、と思う。
いいね、私は絶対にあんな風にスピリチュアルを求めて生きていけないし、
そういうことを身近で聞くと、”はぁ~~~??”だし、
でも遠くから眺めて、それが当人たちを積極的なポジティブマインドにして幸せを運んでいるならば、ありじゃない?
そういう気持ちがあるから100%の努力も出来るしね、
きっと、あのカップルはケンカなんてことはしないんだろうね、、、
と弟に言うと、、
「そりゃ~、金あれば、ケンカしないだろう!! バトン:あそこ行こうか、っていきなり決めても、ジェシカ:いいわね~(私たちお金あるしね~)、ってなるし、ジェシカ:あれ食べましょーか、って言っても、バトン:どこでもいいよ、なんでもいいよ(お金の心配しないでなんでもいいよ)、ってなるだろ?!」。
なんだそれ?!!と笑いだしながら聞いていると、
「それにしても、ジョコビッチの彼女、すんごく綺麗じゃね? なんだ~~~あのヤロ~~~!! 結局は金かぁ~~~~~~!!」
と続けて言う弟にとうとう爆笑。
そんなことないでしょ! と笑いながら反論する私に、
「え?え? お前、もしジョコビッチが世界ランク1位のテニスプレーヤーじゃなくても、あんな美人があいつと付き合うと思ってんの??!」
と続ける弟。
だ~~~か~~~ら~~~~~、
ああいうのは、ニワトリが先か卵が先かみたいな話になっちゃうけど、
あそこまでの強靭な意志とたゆまない努力をする男の強さに女性は惚れるのよ~、
お金はあくまで後のことだよ~~~~~~、
と言う私に、
「あのジョコビッチの顔だぞ!」と。
そんな、不細工な顔じゃないじゃんジョコビッチ。
「あぁ~~~、やっぱり人生カネか~~~」
と私の話をまともに聞かずにジョーク半分で(全部ジョーク、そう願いたい姉!)嘆き続ける弟。
でもさ、本当にジョコビッチの彼女さん綺麗だね、
どこで出会ったのかしらね、と呟くと、
「合コンだろ」。
どんだけ日本文化よ?
そういう彼自身はANAのとびきり綺麗な客室乗務員と飛行機の中で恋に落ちて結婚という、
ドラマ顔負けの人生を送っているのだけれど。
それにしても、ルイス・ハミルトンも、あの耳に光るダイヤモンドピアス外したら、勝ち始めるかもしれないな、
そういうのって、あるでしょ?
いや、これはあくまでも〝精神的”なことです。
スピリチュアルとはちょっと違うんです。
2012年7月23日月曜日
ツール・ド・フランスも終わり、、、
イギリス人が勝ったなんて、信じられない!
こんな日が来ようとは!!
それで久々に新聞を買って喜ぶニックでした。
が!!!
「ポスター付きだよ!」と喜んだ直後、
あれ?
これポスター??
裏面じゃん。。。
いくらオトナしい日本人も、
こんなポスターを手に入れた日には文句言いそうなシロモノ。。。
もうちょっと、なんとかなんないのかね?
なんとか??
それにしても、めでたいめでたい。
今日はテレビつけてもツール・ド・フランスが見れないと思うと、
さみしいさみしい。
2012年7月22日日曜日
Elephants Never Forget
スペインの国王 フアン・カルロス1世が4月にボツワナで象狩りをしていたことがバレて、
世界自然保護基金・WWFのスペイン支部名誉総裁を解任されることになったというニュースをつい先ほど読んだ。
緊縮財政を強いられている国民からは”贅沢”と非難され、
国王は狩りに行ったことを後悔しているという。
えっ??!
>ファン・カルロス1世が名誉総裁??
贅沢??
象狩りに行ったことを後悔???
どれも意味分からず、混乱。。。。。。。
そもそも、
象狩り?????
象狩りって許されてるのか?????
象狩りが合法?????
えっ????????
象は忘れないんだよ、大丈夫??
2012年7月20日金曜日
I Can't Say I Disagree with You
ロンドンオリンピックも開幕目前の今になって、
セキュリティー会社のボスのこの人、
セキュリティー要員が用意できないと言ってきたという。
しかも、金は最初の約束通りのまま欲しいらしい。
そんなことで、この日、彼は政府に呼ばれて尋問されていた。
いやいや、私の英語力では到底細かいところは分からないが、
たまたまテレビをつけたらこのニュースがやっていて、
この顔が、びよ~~~~ん、とあったのである。
なぜか、笑ってしまった。。。。。。。。
髪型か?
眼鏡か?
いかに~もな遊び人ぽい、このいで立ち。
政府はめちゃくちゃしつこく彼に向かって、
「あなたの会社はこの問題により評判が悪くなって動揺してるのでは?」
と繰り返している。
その度に、この顔が、
じーーーーーーーーっと、
前を見て、
そのまま質問者にポカ~~~ンとした表情を向けて、
固まるのである。
この質問も笑える。
知るか!!! そんなこと!!!
キチンと細かいとこまで契約してないお前が悪いんじゃ!!!!!
と言いたい。
かりにも、政府である。
事はオリンピックである。
話がデカいのに、どうよ、このいい加減さ。。。
こんな雰囲気の男の会社と契約するのに、よくそんないい加減に話を運べたな!!
とこっちがびっくりである。
さすがイギリスと思うのである。
私がこの政府の質問者に、
「あなたの国の政府はこれによって信頼が薄れることに動揺してるのでは?」と聞きたい。
そして、とうとう何回も繰り返されたこの質問の後、
このセキュリティー会社の男が言ったのは、
「I can not say I disagree with you」。
"同意しないとは言えない"。
どの国も、どんな人間も、苦し紛れの時は発想が同じだな、
と妙に感心してしまった答えだった。
そしてこのブログに載せたいからなんか写真ないかなぁと探して引っ張り出してきたこの冒頭の写真。
ニュースのタイトルを読むと、まるでこのボスが、
「会社の評判は地に落ちた」
と言っているように書かれているが、実際には前述の尋問的質問の流れがあったのであるから、
ちょっと違うよね??
と思い、
まさに、どの国も、どの社会も、こうやって少しずつ、事実が歪められていく土台があるよね、
と考えずにはいられない一件だった。
あれっ?
ちょっと待てよ、
この人の名前もニック?
素行が悪い人間にニックという名前が多いことについて、
どう思われます?
うちのニックに聞いてみよう。。。
2011年9月4日日曜日
Beyonceの30歳の誕生日
今日9月4日はビヨンセの誕生日だった。彼女がなんと、30!!
信じられんわ~!!!!!
そりゃー私も年とるわ!!!
としみじみ思う。
Destiny's...でやっていた時のグラミー賞授賞式。
3人が手をつないで壇上に上がってくる時に超ミニドレスがひらっひらするからそれを抑えながらそれでも手をつないで超ハイヒールでトコトコ歩いていた。
それを、いつもの、家族だけが知っている、なんともいえない嬉しいようなからかうような表情でジ―――――ッと見ていた父。
すると、
「ってぇ、どーで、この3人は?! とんでもないのが出てきたじゃん!!」
と叫ぶと、また、
ジ―――――――――――ッ。
本当に、女をジ―――――ッと見る人だった。。。
その時のビヨンセを思いだして、彼女が赤ちゃんか~!!と、私は思うわけである。
でも、ナタリーポーとマンも、アリシア・キースも赤ちゃんだもんね、
本当に年を感じるわ。。。
それにしても、賛否両論あるビヨンセのすっぴん顔。
私はこっちの方が断然好き!!!!!!!
絶対ノーメイクの方が可愛い!!!!!!!
可愛いわ~~~~~~、ビヨンセ!!!!!!
あ、でも、こういうのだったら好きだな。ショートも似合うね、当たり前だけど。
美人はなんていってもショートがいい。
美が引き立つ。
そこら辺の女と一緒になってはいけない。
私も美人だったら絶対ショートにしていたな~。
でも、ビヨンセの場合はあのクレイジーで見惚れるダンスの振付には絶対必要な小道具だと思うから、ロングなのも仕方がないな。
それにしても、、、
アメリカすごいな、と、この年になってアメリカのショービズ界に再び感動する。
大体、ビヨンセだよ、トップにいるのが。
あんなに高いバーがあったら、そこを簡単に超えるのなんてムリじゃね??とか思う。
なんちゃってシンガーやらなんちゃってダンサーみたいなのは恥ずかしくって、パフォーマンス出来ないと思う。
簡単に、「私踊れます」 とか 「私歌えます」 なんて、言えないと思う。
よく聞く、
「私、3歳からダンスを習っていて、踊るのが好きなんです」
って言う歌えない&踊れないタレント自称アーティストみたいなのって、ビヨンセ見たことないのかなぁ~??と不思議に思ったりもする。
見たことないのかな、やっぱり??
ところで髪関係で、ちょっと前になるが、哀しいことがあった。
ニックの弟サイモンと彼女ナダ、その友人のジェイミーがディナーに来た時のこと。
話がどこからどうなったのかよく分からないけれど、サイモンが、
「黒人て、髪の毛ちりちりなんだな、知らなかったよ!」と言った。
ナダが、「そーよ。ちりちり、だからセレブな黒人なんてみんなカツラなんだから」と答えた。
「黒人の女性はカツラなんて、本当にびっくりだよ」とサイモン。
「そーよ、黒人は本当に大変よね、でもそうじゃないと、黒人はちりちりのくるくる髪なんだから」と、ナダ。
私がびっくりしていると、何か思い違いしたサイモンがこっちを向いて、
「そうなんだよ、ミキ、黒人の髪の話してるんだけれど、彼らの髪はなんとちりちりなんだよ、びっくりだろ?」
と言った。
あんたたち、さっきから黒人黒人て、こっちの方がびっくりだわ!と思っていると、
ナダが追い打ちをかけるように、
「ホントーに、そうなのよ!」と信じてちょうだいというように私に言った。
それでも、話がオプラのトークショーに出ていたタイラ・バンクスがカツラを取ってちりちり頭を見せたことに及び、
「でも、タイラは綺麗だからね~」
というナダの発言がオチになったところで私も内心ホッ。
なんだかイヤ~な予感がしないでもないけれど、
これで話題が変わるだろうと思いきや、
ハッと気が付いた時には今度はユダヤ人の髪の話になっていた。
「こめかみの髪がくるくるしててさ~、」と言っている。
ほんと、変だよね~、妙っていうかさ~、などと言っている。
最初はあまりのことに信じられず、
ウソでしょう? 冗談言ってるんでしょう?
と半信半疑、成り行きを祈るような気持ちで見守っていたけれど、
どうやら、この人達、真面目らしい。
私がショックで無言のままボーーーッとしていると、
”あのヘンテコな、帽子のようなもの”と聞こえてきた。
即座にハッとし、このチャンスを逃してなるものかと、
「あれはね、キパっていうんだよ~!」
と私。
すると、喋っている3人は一瞬会話を中断してさっきからずっと会話には加わらずに食べているニックと一緒に私を見るも、気を取り直したようにまた会話続行。
え、スルー?!!
なんなの? 例えば私にユダヤ人の友達がいるなんて、夢にも想像できないってこと?!
どういうこと??!
怒りが段々湧き上がってくるが、今はニックがホストのディナー中だと思って抑えていた私、
するとまたもやサイモン、こっちを向いて、
「ユダヤ人ていって、ユダヤ宗教の人達で、髪の形が変なんだよ。」と言った。
どうやら無知な私に教えてくれているらしい。
するとナダ、
「見に行って御覧なさいよ、○○の地域に本当にいっぱいいるから! 行ったら絶対見ることができるわよ、面白いから!!」
と、どうやらこいつも無知な私に教えてくれようとしているらしい。
なんとか、
「あなたは、
私に、
ユダヤ人を見るために、
○○の地域に行けと、
本当に、
そう、
言っているの?」
と、怒りで息も切れ切れに言う私に、
「そう! その通り、そう言ったのよ!!」
と、まるで、”よく英語が正しく分かったわね、嬉しいわ”的な返答。
だから行ってみて!と。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私が怒りで無言のままボーーーッとしていると、まだその話題が続いていく。
だめだめ、爆発するなよ、私、、、
この人達に悪気はないと思え、、、
でもこの得体のしれない人間は一体私の家で何をしているんだ?、、、
だめだめ、ここで言葉を発したら絶対私ヤバい、、、
ばかやろ―、出ていけーーーーーっ!!、、、
いやいやいや、悪意はないはず、、、だから許せ、、、
でもこれからこんな人たちとお付き合いしていきたくない、、、
と、悶々として無言を貫いていると、
ジェイミーが言った、
「こういう髪した(指でこめかみのところをクルクル回しながら)、おかしな人間がウロウロしてるから、すぐにわかるよ」。
ぶちっっ☆!!!!!
切れた―――――――――ーッッ!!!
しかし、やっぱりグッとこらえた。
ニックのために。。。。。。。。。
実際、私がこういう場面で抑えることができたのは、多分これが初めて。
口は災いのもと、口も上手く回らず、頭も早く回らない私がカッとして本心を大きなザルの目からこぼす様に言って、後々ニックが困るのは目に見えている。
しかし、その後は猛烈に落ち込んだ。
私のポリシーとして、あそこで何も言わなかったのが良かったわけがない。
せめてチクリと刺すような、ウィットに富んだ皮肉1つ飛ばせなかったのかと、
そして多分、素晴らしい人間なら、そんなこともサラッと出来て、その上相手を黙らせ、またその上で相手に瞬時に本意をきちんと分かってもらうことが出来た筈なのだと、
そう思うと、
そればかりは自分の拙い英語力だけではなく、
そもそも私の今までの培ってきたと思いこんでいたものは思い込みでしかなかったと思い知らされ、
なんとも哀しかった。
そして、それを皆が帰ってから切々とニックに訴えながら、
それでもなんとか振り切ろうと、
黒人黒人言うなんて、よほど黒人の友達がいなかったんだね~、私の方がびっくりしちゃったよ~
なんて軽く聞こえるように言ってみたけれど、
なのに正直に困った顔を見せられて、
怒りの矛先をニックに向けた私は、
なぜ、あなたはあのディナーの会話中に何も言わなかったのか、
一体本当にあの会話に対して何かを感じたのか、
あなたは困ると下を向いて食べてばかりいる、
と言って責め、
最終的には、
ああいう場面でもしあなたが「今夜はこの辺でお引き取り願いたい」くらい言ったら私はもっとあなたを尊敬さえする!!
などと、とんでもないことまで言って、結局ニックを哀しませた。
もちろん、子供じみた八つ当たりである。
今もナダとサイモンとはたまに話すし、これからずっと付き合いもあるはずなのだから、
あの時に自分を抑えることが出来て良かったとは思う。
なんといっても、ニックの両親を困らせることもしなかったし。
だから思う。
もうちょっと、ちゃんとしっかり日々精進しろよ、私!!と。
きちんと頭に引き出しを作って、
その中に毎日培ったものを丁寧に畳んで入れて、
必要な時にはきちんと出せる人になるように。
そして思う。
ジェイミー、あなたは大学で勉学を教えていて偉い人だと聞いたけれど、
だからこそ、
これから一生あなたを尊敬することはないでしょう、と。
そしてナダ、
あなたはイスラムでしょう、なにを寝ぼけたこと言っているの!!と。
2011年8月14日日曜日
旅行から帰って指輪をもらう
。。。。。。。。。。。。って!!
どんな指輪なんじゃ~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!!!
パセリだよ、パセリ!!!!!!!!
と、怒り爆発させようとしたその時に、第二弾のこの指輪の出現で、
あら、
あらあら、
なんか、可愛いじゃないの~~~。。。。
と、 気勢を削がれた。
夜。
第二弾でなんかうまーく丸めこまれたような気がしながらも、ふんふん、可愛いわね、なんて鼻歌歌っていた気分も過ぎ去り、、、
また怒りがムクムクと湧き上がって来た。
大体さ、花が萎れちゃうから、本物のお花の指輪もらっても、ずっとできないじゃん、
意味ねェ~~~~~~っっ!!
すると、危険を察知したニック、
またゴソゴソとベランダへ出ていき、
こんなのを作って来た。
下の方に巻かれた白いのが見えるでしょう?
それはティッシュを水に浸して巻いてあって、ニック曰く、
「こうすると、まるで花束みたいだねぇ~♪ すぐに花がダメにならないしねぇ~♪」。
ほんとだーーーーっっ!! 可愛い~~~~~~っ♪♪
「ね? いいでしょ?」とまたニック。
その言葉で、
なんだ、その、僕工夫したでしょ、出来たでしょ、頭使ってるでしょ、みたいなのは??
なんて、ぴきっ☆っときたけど、結局、まぁまぁ、キュートでなかなかいいアイデアね、、、
と思う私。
丸めこまれてるばあいじゃないぞ私ーーーーーーーーっっっ!!。
2011年6月23日木曜日
伊達公子ともらったチーズケーキと
ものすごく良い試合だった!伊達選手はネットに出ることが他の選手に比べて断トツ多いから見ていてハラハラする、
けれどその分、
とっても面白い試合になる。
あれでサーヴが強かったらなぁ!!
まだまだ強くて可愛くて、感動させる試合を見せてくれた。
結局最後までテレビで試合観戦していたため、早めにショッピングに出かけるはずが、もう4時を過ぎてしまっていた。マズワラ・ヒルという所のケーキ屋さんで、お店の人がケーキを切っているのを外からじっと眺めてたら、おいでおいでをされて、このケーキをくれた!!
見かけと違っていてさっぱりして美味しい。
いつもここのケーキを見ると、綺麗だけど、味はどうなの?と思っていたから、嬉しい驚きだった。
今度ここで買ってみよう。
2011年6月5日日曜日
ふぇでら~
2011年5月29日日曜日
バルセロナVSマンユーナイテッド Champion's League Final

チャンピオンズリーグの決勝戦。
当然バルセロナが勝つよ、、と言っていた割に、
いざマンユーが負けたらこの通り哀しみに沈んだニック。
ところでmore like treesのギグが近くのパブであったから行く気満々だったのに、今日になってギグ開演は8時、チャンピオンズリーグ決勝戦のキックオフは7時45分とドンピシャなことが判明。
しばし考えて、サッカーを最初に見て面白くなさそうだったら急いでパブに向かおう、ということで話はまとまり、それに合わせてニックは仕事を、私は夕食の支度を、となった。
いざ試合が始まると、バルセロナが1点入れた後にルーニ―が得点して1-1、わぉ!!と興奮してるうちに前半が終わって、ハーフタイム、じゃ、ギグは諦めよーね、、ともちろんなった。
そして後半。
ルー二-のゴール大切にしよーぜ!!とテレビに向かって声をかけたのに、メッシに1点入れられ、うォ~~~~~☆★☆と唸っているうちにまた1点入れられ、、、。
面白くないまま試合終了してしまった。。。
ひどい。。。
でも、私はサッカーについて詳しくないけれど、バルセロナは特別なチームということらしいし、仕方ないよね。。。
でも、ルーニ―入れたじゃん!!
スゴイよルーニー!!
大体さ、そんなにすごいすごいといわれているメッシだって1点じゃないか、、、
ワールドカップでは得点してくれなかったしさ、、、
とまだワールドカップのことを根に持つ私。。。
しかしあのマンユーに対してボール保持率が67%っていうから、やっぱりバルセロナすごいのね。
それにしても、more like treesはファイナルにギグを持ってくるなんて一体何考えてんだよ~☆
2011年4月29日金曜日
ケイトじゃなくなったキャサリン妃
号外を早速手に入れたニック。
街中がお祭り気分。
チャイナタウンも。
Betty Everettの”It's in his kiss"で踊っていた男の子達。お祝いのダンスなのかな?
いたるところで青空パーティが開かれていた。
ソーホーなんて、えらいことになっていて、通り抜けできない。
天気が良くなって良かったよね。
ゲイのメッカだけあって、もともとパーティーだらけのソーホーだけど、やっぱり王室の結婚式ともなると、ガーリーなお祝いだけに男の子達がきゃっきゃきゃっきゃ言って、とても嬉しそうだった。
こんなことになってまっせ。






パーティーの余韻を楽しみながらクイックリトルピクニックをするために、グリーンパークを通り抜けてハイドパークまでてくてくてくてく歩いた私達。すっかり日も暮れかけて、すっかり疲れた顔した人達でいっぱいだった。

気が付けばもう8時。4月29日ももう終わりかぁ~と、なんとなく淋しい。
朝から結婚式の生中継を見ようとテレビの前でスタンバイして、やっと見始めた途端に、
「そーだ!! 今美術館に行ったらきっと誰もいないよ。だぁ~れも!!」
と思いたった。
そして街に出かけた私達。
案の定、バスは私とニックのたった2人だけの乗客。貸し切り状態
着いた美術館はもぬけの殻。
こんなことってこのロンドンであり得んわ~!!としめしめ1人ほくそ笑む私。
もちろんその後、結婚式の雰囲気を楽しみたいからと街中を歩きまわった。
本当にみんな嬉しそうで楽しそう。
王室に対してはものすごく風当たりが強いこの国だけど、やっぱり嬉しいニュースには変わりないよね。
大体、最近こんな明るい話題なんてあったっけ??
恐れていたテロもなく、本当に良い一日で終わった。
ところで夜、テレビのトークショーを見ていると、キャスターが、「なんちゃらうんちゃら、and Kate...Oh, excuse me!! Katherine. Katherine said....」と言っててなんとなく可笑しくて笑えた。
もしかしたら笑う所じゃないのかもしれないけど。
でもおかしーよね?
2010年8月28日土曜日
原因は雷だった?!!

やっと復活しましたネット環境!!
、、、、、ってなことで、ここも復活。
数週間前からYahooのBBTVが途切れることが多くなり、
でもこういうことは以前にもあったし少し待てばまた改善されるよね、ヤフーのアホバカたれ、、と悪態付きつつ期待していたら、
その内にネットもブチブチ切れるようになってハテ困ったぞと思っていると、
遂にこの1週間はBBTVの画面が全く動かなくなってネットは切れ切れ、
ニックはauのモバイルネットを使って部屋で仕事という状態になった。
やっと、こりゃ何かおかしい、、、ってなことでニックがヤフーに電話した。
「いや、ネットもおかしいし、多分モデムが古いからなんじゃないかと思うんですけど、、
いや、、、、、いや、、、、はい、、はい、、いや、だから、1台はVISTAですけど、
コンピューターは2台あって、両方ともそういう状態なんで、、いや、多分モデムの問題じゃないかと、、、」
っていう会話が聞こえて、ふむふむ何気に聞いていると、
「は?? え?? 雷、ですか? いや、、それは、ないですけど、、、もう5年もなんで、このモデムが相当古いんだと思うんですよね、、それで交換を、、、、、」
と続けるニックの横で、
”えっっ!!☆ 今、雷って言った??!!!☆★☆”
とそれこそ落雷にあったようにビビーーーーーンときた。
電話を切って、明後日新しいモデムを届けてくれるって、と言うニックに、
「ね、ね、さっき、雷って言ってたでしょ?」って聞くと、
「うん、雷が落ちましたか?って聞くんだよ、僕も”は??”って思って笑えたけど、ま、ない話じゃないからね。」 とニックが答えるのを頭の隅の方で”こいつの日本語って、、、”っと何故か少しイラッ☆っとしながら、
違うのっ!!
雷、確かに3週間前ぐらいに酷いのがあって、ほら、私、”あれ絶対落ちたよ、絶対近くに落ちた!”って騒いでいた時あったじゃない!! 覚えてない?? 時期的にも一致してるし、絶対あれだ!!
って言うと、え、そんな雷ってあったっけ、、、、、とニック。
ニックはソファで昼寝していて、私があんまりに雷で騒ぐから、”ミキ~、雷なんて怖くないよ~”って半分うとうとしながら言ってたんだった!って言うと、
「あ~~~~~~~~~~っ!! 思い出したっ!!! あった、あった、そんなこと!!!」とニック。
それからは犯人は忘れかけていた3週間前の雷である線が濃厚ですな、と興奮気味な私達がわめくここと5分。
ホシは割れましたぞとばかり再びヤフーに電話して、実は雷があったことを伝えた。
なんでも、雷に弱いらしい。
「特にヤフーは、、」とヤフーの人が言ったというからそれを聞いてなかなか好感が持てた。
そして対応の良さにヤフー嫌いの私は逆にちょっとびっくり☆
雷には気をつけなきゃねーと思った出来事だった。
2009年7月8日水曜日
“Jerusalem Prize” Remarks
“Jerusalem Prize” Remarks
Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.
Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.
Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System. That is all I have to say to you.
I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.
今頃だけど、以上が村上春樹さんのイスラエル文学賞のスピーチ。
なんだか、その受賞式に行くべきじゃないとか、本をボイコットとかいう話に発展してごちゃごちゃしてたのは知っていたけど、へぇ! 結構面倒なものなんだな、彼は小説家なのだから、いいじゃないか?!と、思ったまま知らんぷりしていた。
しかし2日前、ジュンク堂書店でトラベルブックのコーナーぶらぶらしてたら『イスラエル・キブツの生活』河野元美著が目に付いた。日本人バックパッカーが表紙だけど、白黒写真で何歳ぐらいなのか分からない。キブツは行こう行こうと思いながら行かなかった場所。なのでもちろん興味ある。けど、見せかけバックパッカーだったら嫌だな、、と、次に目に入ったのがブックリーフ(?って呼ぶのか?)にある”遺稿”の文字。2009年1月逝去、、、ってある。ついこの間じゃないか。
なんでだ?闘争地区で何かに巻き込まれたのか?と思いつつ、本を開いた。
そしたらそこらへんの偽バックパッカー本からはほど遠い内容だった。ついついあとがきまで読むとそれは彼の奥さんが書いたもの。素人?ではないのかな、、と不思議に思うほど彼女の気持ちが切々と伝わってくるとても良いあとがきだったんだけれど、その最後の方で、村上春樹さんの名前が出てきた。「彼の卵についての受賞スピーチを亡き夫が聞いたらなんと言ったのだろう。日本文学には全く興味のない人だったが村上春樹の『アンダーグラウンド』だけは読みたいと言っていた人だったので。」とあって、あぁ、そーだ、村上春樹さんイスラエル文学賞受賞してたっけ、、、と思いだすと同時に一瞬、訳が分からなくなった。
卵?? 卵についてのスピーチ???
で、見つけたのがコレ。
何故、イスラエル文学賞ニュースについて、知らんぷりしてたかというとですね、
ちょっとばかり”嫉妬”してたのさ。世界中で彼の本が読まれてるのは嬉しいし、他国の人と彼の本の話が出来たりするのも楽しい。金髪の(差別用語?笑)、青い眼の(これも差別?)へらへらしたにーちゃんに、「僕、村上春樹さんの小説、好きなんだよね、ねじまき鳥なんかがさ、、、」とか言われちゃうと、あ、こいつ、ちょっと喋ってみてもいいかも、、、なんて、単純に思ったりしちゃうわけです。
でもそれと同時にチクッと嫉妬心が起きるの。
しかも文学賞なんて他の国で取られちゃうと、チクッどころじゃないの。
あぁ、私だけじゃないのね、、、、ってなるの。
さて、これをなんと呼ぶか?
はい、エゴです。簡単ですね! ちゃんちゃん。
馬鹿らしいとは自分でも思うんだけどさ。
彼がノーベル文学賞を取ったらどうなるんだ??
Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.
Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.
Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System. That is all I have to say to you.
I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.
今頃だけど、以上が村上春樹さんのイスラエル文学賞のスピーチ。
なんだか、その受賞式に行くべきじゃないとか、本をボイコットとかいう話に発展してごちゃごちゃしてたのは知っていたけど、へぇ! 結構面倒なものなんだな、彼は小説家なのだから、いいじゃないか?!と、思ったまま知らんぷりしていた。
しかし2日前、ジュンク堂書店でトラベルブックのコーナーぶらぶらしてたら『イスラエル・キブツの生活』河野元美著が目に付いた。日本人バックパッカーが表紙だけど、白黒写真で何歳ぐらいなのか分からない。キブツは行こう行こうと思いながら行かなかった場所。なのでもちろん興味ある。けど、見せかけバックパッカーだったら嫌だな、、と、次に目に入ったのがブックリーフ(?って呼ぶのか?)にある”遺稿”の文字。2009年1月逝去、、、ってある。ついこの間じゃないか。
なんでだ?闘争地区で何かに巻き込まれたのか?と思いつつ、本を開いた。
そしたらそこらへんの偽バックパッカー本からはほど遠い内容だった。ついついあとがきまで読むとそれは彼の奥さんが書いたもの。素人?ではないのかな、、と不思議に思うほど彼女の気持ちが切々と伝わってくるとても良いあとがきだったんだけれど、その最後の方で、村上春樹さんの名前が出てきた。「彼の卵についての受賞スピーチを亡き夫が聞いたらなんと言ったのだろう。日本文学には全く興味のない人だったが村上春樹の『アンダーグラウンド』だけは読みたいと言っていた人だったので。」とあって、あぁ、そーだ、村上春樹さんイスラエル文学賞受賞してたっけ、、、と思いだすと同時に一瞬、訳が分からなくなった。
卵?? 卵についてのスピーチ???
で、見つけたのがコレ。
何故、イスラエル文学賞ニュースについて、知らんぷりしてたかというとですね、
ちょっとばかり”嫉妬”してたのさ。世界中で彼の本が読まれてるのは嬉しいし、他国の人と彼の本の話が出来たりするのも楽しい。金髪の(差別用語?笑)、青い眼の(これも差別?)へらへらしたにーちゃんに、「僕、村上春樹さんの小説、好きなんだよね、ねじまき鳥なんかがさ、、、」とか言われちゃうと、あ、こいつ、ちょっと喋ってみてもいいかも、、、なんて、単純に思ったりしちゃうわけです。
でもそれと同時にチクッと嫉妬心が起きるの。
しかも文学賞なんて他の国で取られちゃうと、チクッどころじゃないの。
あぁ、私だけじゃないのね、、、、ってなるの。
さて、これをなんと呼ぶか?
はい、エゴです。簡単ですね! ちゃんちゃん。
馬鹿らしいとは自分でも思うんだけどさ。
彼がノーベル文学賞を取ったらどうなるんだ??
2009年2月3日火曜日
雪の英国
そうそう!昨日CNNつけたらこんな見慣れない映像が。
なんとロンドンに雪が積もってる。
キレーーーーーーーーーーーーーーい!!!
イギリスってより、英国。
こうやってみると、あの国は何世紀も全く変わっとらんぞ、、って思うなー。
なんか、まだスウィーニートッドが生きてて、角のパン屋では人肉のミンチパイ焼いてます、みたいな。
それにしても、ここまで降ったらイギリスの場合大変だろうな。
何の対策もされてないし。
フライトはなし、バスも、学校も、仕事もなし、だって。
しまいには歩道を嬉しそうにスキーしながら通ってる人まで。
アホだぁぁあ~~~~~~~~~~~~~~~!!
そんなことしたら、日本じゃ大変だろーね。
モラルに反してる!とか、大人にあるまじき行為!とか言われちゃってさ。
今朝起きたらロンドンのアダムから写真付きメールが来てた。
やっぱりなかなか嬉しかったみたい。笑

2009年2月2日月曜日
私のFergieが!
本屋でゴシップ雑誌を見ようと、売り場に行ったとたん、、、!!!!!!!!!!!!!!!!
Fergie、結婚するとは知っていたけど、なんだ、この男???!!!
『ラスベガス』の男じゃないか!!!!!!!!!!!
そりゃ~さ、ボスの右腕としてバリ働いてる元軍人、ヘナチョコに見えるけどすっごい切れ者の役してるから、私だって気に入ってたさっ!!
可愛いと思ったわよっ!!
でも、Fergieと結婚できるほどじゃぁ~ないだろぉぉ~~~~~~!!!!!
すごい、彼女と結婚できるなんて。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
株がぎゅーーーんと上がった。
見直したわっっっ!!!!!!!
と、思った同時に、一瞬にしてFergieのお付きに成り下がってしまった★
私ってこーゆー女たち大好きだわ~。
ドリュー・バリモアとか、ケイト・ハドソンとか、グウェン・ステファーニとか、ピンクも好きだし、ジュリエット・ルイス、リヴ・タイラーも大大大好き♪♪♪
彼女たちに共通してるのは、いつ離婚しようが誰と結婚しようが、
全く影響なし!!!!!
ってとこ。
それどころか、誰か気にしてるのか??ってくらい、デカい話にならない。
ふぅん、また付き合いだしたんだ~、でも相手誰?って名前聞いて、その名前を覚える前にもう相手変わってるしぃ~~~~!!!!!!!!!
アクセサリー? 荷物持ち? 彼女たちの横ではそんな風にしか見えないの。
強い女、最高でっす!!
特にドリュー、あなたよ~~~~~!!!!!!!!!!
どうやらFergieも私のリストに仲間入りみたい。
2009年1月21日水曜日
2009年1月20日火曜日
オバマ大統領誕生

44代目の大統領誕生だ~~~~~~~!!!!!!!!
昔よく父親に、
「ケネディーが演説した時の何を一番覚えてる?」とか、
「ケネディーが撃たれた時に日本はどんな反応だった? パパはその時どうだったの?」とか、
そんな質問ばかりしていた。
”タイムマシーンがあって1日だけ行けるとしたらそこはどこ?”っていう質問には(なぜかこの問いが子供の時に流行っていたの。笑)、
「ケネディーが殺される前に行ってみる!」って言っていた。
あの時代をリアルタイムで生きた人たちっていうのがすごく羨ましかった。
そこにちょっとかすった人達は今60歳ぐらい?なのかな、
クリントンも選挙の時にケネディーと出会った若い時の写真が何回もCMに使われたりしていたけれど、
オバマは47歳、ケネディーにはそんなに馴染みがない。
オバマはだからリンカーン派。
彼が私たちにとってのケネディーになるかな?
なるといいな。殺されちゃ困るけれど。
ところでオバマって地球上で一番作り笑いが上手な人間だと常々思うけど、
今日はいつものよーに極上の笑顔を見せた後すぐに後ろを振り向きながら素に戻った顔の変化が怖かった☆
さっそく大統領の本領発揮か?!!
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