2011年5月22日日曜日
空想の世界で辻褄合わせ
沢井清司先生が亡くなってから1年が経ってしまった。
そして私はこうしてニックとロンドンにいる。
時々思うんだけど、もし、人類に貢献する頭の持ち主だったらその人はずっと生きるというのはどうかな。
その世界ではサルトルなんか真っ先に生きてなきゃならない。
ピカソも、モディリアーニも、アインシュタインも、ベートーベンも全員一緒に時代を共有している。
朝吹登美子さんはまだまだ翻訳してなきゃならないし、オードリー・へプバーンは最新映画に出演してたり、野口英世はすっと研究室にいたりなんかする。
で、その世界では誰でも自殺は出来るけど、例えば自分があげたいだけの年数を病気でもう長くない人に分けてあげることも出来る。
これ、どーぞ、私もういらないから3年分あげたいんですけど、、、とか言って。
もちろん、申し出を受けた人は、欲しくなかったらもらわなくても良いし、いえいえ、そんなことはダメですよ、あなたはもっとこの世界に留まるべきですよ、とか言うんだけど、その人は意志が固くて、どうしてもこの世界にはいたくない。
いや、では貰いますが、私は2年もらって、私の知り合いに残りの一年分をあげたいのですが、、、と言うと、あぁ、いいですよ、って。
だめかな、、、
だめだろうな、、、
死がなかったら芸術も生まれないのかもな。。。
ドラキュラなんかは知識階級で芸術を愛するとか言われているけど、芸術家のドラキュラってのは聞いたことないもんな。。。
俺、もう無限に生きてるんだもんねぇ~、、なんて思ったら、晩年に同じテーマの絵を延々と描こうなんて感情も生まれないんだろうな。。。
いや、もちろんその世界でも寿命はあるんだけど、貢献したらどんどん長くなっていくだけで、当人はもちろんそんなことは知らない。
あれれ、僕の人生かなり人より長いけど、これって貢献しているからかな、程度に感じるくらい。
自殺する人から時間を譲り受けた病人も、あくまで手持ちの寿命はハッキリとは分からないけれど、そこにもらった時間を上乗せしていく、みたいな感じ。
いや、だめだな。。
すると、それを狙ったビジネスとか犯罪とか出てきちゃうもんな。
うーーーーん、、、難しい。。。
しかもそういうのって噂のように分かっちゃうことだから、へぇ! 貢献したら、人生長くなるんだな、きっと!!なんてなったら最後、それによって影響受けちゃうよな。
例えば、太宰とか三島とかは自殺しちゃったけど、あれでもし、なんか僕は他の人よりも世界に貢献してるから長く生きていくみたいです、、ていうんだったら作風もまるっきし違うんだろうしな。。。
貢献してるから生きていかなくてはいけないんです、、みたいになっちゃうのかな。
そうなるともう丸っきりグリーンマイルの世界だな。。。
だめだ。。。芸術にその世界は向かない。。。
しかし科学には打ってつけでないか?!
じゃ、貢献というより、人の命を救った人間、にした方がいいのかな。
でもそうしたら、メスで命を救ってはないけど、絵で命を救った場合はどうなるのかな。。。
いや、そもそも、人の命を直接的にでも間接的にでも救ったとしても、それでも私は元々の寿命だけで充分です、、とか、あるだろうしな。。。
しかも肌とかどうなっていくのかな、ある年まできたら、もうそれ以上は老化しないとか。
あぁ、私がこういう世界を頭の中で作り出すと、空想の中でさえ辻褄合わせで行き詰って全てが上手に動かなくなるから、本当にびっくりする。
想像力の欠如?
それともやっぱり今の世界しかないということなのかしら。。。
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