知り合いのお見舞いに出かけた日。
「どこら辺に病院あるんだろうね〜?」とニックに話しかけながら歩いていると、
「え? あれだけど?」とニック。
「え? あれだけど?」な病院 |
え? あれが病院なの?!と私が驚いたのは言うまでもない。
団地住宅みたいじゃないか。
イギリス大丈夫なのか??とビックリだったけれど、そういえば、京大病院も古い方はあんなんだったな、、と思い出した。
治療さえしっかりされていたら文句はないか。
でも正面玄関に来たらマトモに見えた。良かった。
ところでその知人は心臓テストを受けにいって、その最中で心臓発作を起こしてしまった。そして入院治療のために、家に近い病院へ移送されたのだった。
心臓テスト中の心臓発作。1000人に一人とかの確率で起こるそのリスクは最初から説明を受けていたのだが、しかし誰もまさか自分がその一人になるなんて思わない。見舞った時に見た彼女は回復し始めていて一安心したのだけれど、体が回復していくに連れ、今度はだんだんと精神的ショックを感じ始めていたみたいだった。
私もCTテストで発作を起こした。CT造影剤で引き起こされる発作のリスクはあるにはあるが決して高くないと思っていたしそれまでにも何回かやっていた。にもかかわらず、その日起こってしまった。
それはひどい苦しみだった。何が起こったのか全く分からない。いきなりサイレン音が響き渡り、そのうちに頭も視界もボーーーッと霞んできて白っぽくなっていく。体の上では誰かが「ステロイドだ!」とか「押さえて!」とか言っていて、’’ステロイド? あぁ、私またなんかあったんだな’’と、まるでそれは幽体離脱。
結局、ステロイドで発作は治まった。帰り支度を始めながら、’’これって帰ってもいい状態なのかな???’’と不思議に思いつつも、医者や看護師達がすごく動揺している様子を見ていたらそこにはもはや一秒たりとも居たくはなかった。
そして気が付けば、ボーーーッとしてゆらゆら揺れている頭で書類にサインだかを私がしているのを無言で待っている医者達に腹が立った妹が、いったいなにがあったのか説明して、それをはっきりと紙に書いて欲しいと強く言ってくれていた。
あの時は妹が付いてきてくれていたので本当に助かった。心強かった。
もしニックだけだったらあんなにシャンとしていたかどうか。
そしてそのやり取りを他人事のように聞きながら、’’アナフィラキシーショック’’と言う言葉だけを耳が拾い、’’あぁそ〜か〜、やっぱりあれがそうなんだ〜’’とやはり他人事のように感じていた。
リスク説明にあった、’’症状はかゆみや発疹・発赤、嘔気などが多いが、眩暈やしびれ、咽頭浮腫など、重篤な副作用の前兆とみられる症状が現れることもある。ごくまれだが、免疫系の劇症反応であるアナフィラキシーショックが起きると、呼吸困難や血圧低下で死亡することもある’’っていう、あれか〜と。じゃ、今夜死ななくて良かったね〜妹が京都に来てるしね〜と、思った。
病院を出て直後、3人で自転車をこいで(!)家へと向かっていながらまだ体中から引かない冷たい汗に風が当たって気持ちいいいな〜と思っていた。そして「ね〜、お腹空いたねぇ、食事でもして行く?」なんて言って、2人を’’はぁ???’’とさせた私。だから今回の知人の件では彼女の気持ちの動きがよく分かるのだった。気持ちの動きと言うよりもアドレナリンの動きというべきか。
’‘ホンモノかよ?’’と唸ってしまったほどのピンク。 |
他は普通の色。この3つだけがこの色。 |
私の件に関して言えば、あれ以来、もう私のCTテストでは造影剤が使えなくなってしまった。
知人はこれからリハビリが始まる。
ニックの今は亡き祖父は、一生医者とは無縁だった。そういったものを一切受け付けていなかったらしい。それは彼の娘であるニックの母にも受け継がれていて、とにかくリスク回避が最優先事項、日本の人間ドッグの話なんかをするともう絶句してしまう。そりゃ〜しなくてすめばそれに超した事はない。が、そういう訳にはいかないと言っても決して’’うん、そうね’’とはならない。そういう検査が病気の早期発見につながると否定は出来ないはずなのにもかかわらず、だ。
今回の知人の事によって、ニック母が’‘だから言ってるでしょう’’とやはり言った。
私はただただ、検査に行って検査のせいで発作を起こしてしまうのは、本当に残念なことだなつくづく思うのだった。
追記; 私のその発作の少し後で、2番目の主治医だった大好きな先生との面談があり、私はなんとなくバツが悪く感じて報告を避けていたのが、ニックが横で、「アナフィラキシーショックを起こしまして、、」と言ってしまった。言った途端、先生は「はぁ〜??!」だった。確かに、はぁ〜〜??だよね。
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