2013年3月16日土曜日

写真家マン・レイ展 ;ナショナル・ポートレイト・ギャラリー



ナショナル・ポートレイト・ギャラリーでマン・レイの写真展があったので、

ニックに誘われて行ってきた。


土曜日だから混んでいて入場制限もあったのに、それでも大変だった!


最初は人の肩と肩が重なるその後ろからつま先立ちで覗き込んでいたのだが、


もともと写真なのでそこまで大きくないからかなり近寄らなければ詳細は見えない。



そのうちにバカらしくなり、適当にぷらぷら歩きまわり始め、





ついつい、”今回初めて作品〇〇点も集められた〇〇の美術展!”とかの前宣伝に毒されて、気が付けばなぜか全部一点一点丁寧に見なければ!!と気負いまくってしまうんだよね~ダメよね~、


と1人で苦笑いしていると、



驚いたことに、入り口から新たに入場してくる人達が、列を守ってそのまま一歩一歩前に歩き、順々に端から一枚一枚の写真を眺めているのに気が付いた。



列に並ぶのが大好きなイギリス人の性なのか?!!と思うとちょっと興味深く、その様子をじっと観察していると、たまたまなのか、フランス人は絶対に並ばず、スペイン人やドイツ人も一枚ずつ見ようかどうしようかなんとなくプラプラ系。


イギリス人て並ぶのがホントに好きだなぁ、、と思ってしばし感心していた私だったけれど、



そうだ、この展覧会、結構高くて12.70ポンドもしたんだった、



さっさとちゃんと見なければ。。。と心を入れ替えて、自分も一枚一枚見ることにした。
(もちろん列には並ばなかったけれど。)





そんな写真達はもちろんマン・レイ、見ていてどれもストーリー性のある楽しいものだった。


展示は時代に分かれて構成されていたのでとても見やすく、


マン・レイのカメラ人生が浮き出たものだった。



影や動きが彼のシュールレアリズム的イメージを作り上げあいる作品はもちろんのこと、


ストレートなポートレイト写真もたくさんあり、


私のようなミーハー写真大好きさんにはキキの写真やハリウッド時代の写真も面白いが、


大好きなエコール・ド・パリ時代のアーティスト達の写真がたまらない。


しかし残念なことに、彼がパリへ渡ったのは1921年の7月、


モディリアーニが死んだのは1920年の1月だったから、


モディリアーニの写真はない。








ところでこのパンフレットはモデルのリー・ミラー。


いきなりパリのマン・レイのスタジオまで行って、



「私はリー・ミラー、あなたの助手になります」と、


”なりたいです”、っていうより、”なります”口調で挨拶したというエピソードが、本当かウソか残っている、押しかけリー・ミラーである。



もちろん、すぐにマン・レイのミューズになった。

そしてお決まりの恋愛関係。




それまでは雑誌ヴォーグのモデルもしてたほどのキャリアだったのに、わざわざ、マン・レイに会うためにニューヨークからパリへ向かったというからすごい。



もちろんその美貌もすごいのだけど、

たまに、角度によっては私が好きなグウェン・ステファーニに似ているのだけど、

横顔のラインがあまりにも美の極致としか言えない写真の前では動けなくなる私だったのだけど、


それでもリー・ミラーは暗く、マン・レイの陰影よりも暗く、


彼女の顔を眺めているとなぜだか私の心も暗くなっていくのだった。







今回の展示で一番好きなポートレイトはエリック・サティのものだった。

まるでサティの音楽が聞こえるような柔らかくて暖かくてユーモアのある写真だった。






しかし私にはかの有名なソラリゼーションというものも、

実際に写真を見てもどこがどうなのかちんぷんかんぷん。


現像時に露光過多のせいで白黒写真に起こる、白と黒の反転現象なるその現象を意図的に作り上げたものをそう呼ぶのだそうだが、


リー・ミラーが現像中に間違ってドアを開けてしまった失敗作を、マン・レイが面白がったのが始まりとかいう、どうだかな~な話もあるそのソラリゼーション、



イマイチ、現物見ても、わからない。





誰か、そういう展覧会に行くときには一緒に行って説明してくれるような人がいたら、さぞかしもっと理解も深まって別の見方も出来るかもしれないけれど、



私はひたすら、
わーー! コレどうやって撮ったのかね、綺麗だねー! とか、


あーー! ピカソだー! とか、


あーー! カトリーヌ・ドヌーヴだー! とか叫ぶばかり。



周りは結構なカメラマンの卵やら芸術家たちが鑑賞している中で、


浮いていたかもしれない。









ところで、マン・レイの一番の成功は、


マン・レイ



というその名前を彼が作り上げたことじゃないかとつねづね思っている私である。
































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