かなり前から気になっていたこの映画を観た。
ティルダ・スウィントンが出ているものは、彼女のファンでなくてもどうしても目を惹くのがこの女優さんの凄さだと思うのだが、
今回はそれに加えてタイトルがいかにもワケありめいていて、ずっと頭から離れないでいたのだ。
We need to talk about Kevin
ワケありなのは確かだね、しかもティルダ・スウィントンだしね、、、と映画が始まって5分もしたら、ティルダのどっぷり陰気な顔でやるせなくなり、どうしようか、またの機会にしようか、と考えたけれど、次はいつ観れるかわからない、じゃぁ、あと10分だけ我慢して、、となった。
実はティルダの顔だけが原因ではなく、ストーリーの中での彼女の過去が、私の苦手なイメージ画像というか、切り貼りされたようなシーンで何度もフラッシュバックして所々に挿し込まれていたのも、見る気が萎えた理由だったのだけど、
しかし結局、10分経ったらそんなことよりも、すっかり映画に引き込まれていたのだった。
。
この映画の鍵は赤色で、
とにかく最初から終りまでずっと赤色が使われる。
それはいいのだけれど、
それでもこういうスープ缶のシーンなど見るにつけ、
ちと、あざとい感じもするなぁと、思ってしまうのが邪魔だった。
意地悪な見方をすれば、ちょっと背伸びしたアートスクールの映画学科生徒の作品のような。
誰か他の人が感想で言っていたように、’’もう少し観客を信じればいい’’と、そんな意見に同感もしたのだった。
それにしても、監督はリン・ラムゼイといい、2003年に書かれたライオネル・シュライバーの原作をもとに脚本を書いたのも彼女だという。
監督と脚本を同じ人間が担当するとブレが生じにくいので、大概が良い作品になるとは前から思っていることだけど、
一歩間違えればただのオカルトにもなりそうなこういう話を、リン・ラムゼイは女性らしい切れと苦みを使って、秀逸な映画に仕上げている。
おかげで、観終わった今も、体に染み付くようなモヤモヤ感やシーンの残像が頭に残ったままなかなか消えない。
エズラ・ミラーという俳優がケヴィン役。
この人、気持ち悪くてなかなか良い。
多分、普段はヒッピー的なような、アメリカの健康志向俳優から2ステップくらい斜め後ろを行っているような、そんな私生活を彷彿とさせるほどの空気をそのままスクリーン上で発散させていたような。
なんだか日本ぽいような雰囲気ももっているしな、、、
と思ったら、日本の映画で大好きなあの作品を思い出した!
それはまた次回に。
それにしても、邦題の『少年は残酷な弓を射る』って。。。
他になんかなかったのかねぇ、、、と思って考えれば考えるほど、
あら、不思議、
英題の『We need to talk about Kevin』と音が合ってきた!
さぁ、発音してみましょう。
We need to talk about Kevin.
少年は残酷な弓を射る。
だったら、そのままに似せて、『ケヴィンについて話しましょう』でもいいんじゃないか??とも思えてくるのだが。。。
邦題は面白い。
それにしても、本当に、ケヴィンついて話せば良かったのにね。。。とティルダに向かって映画の終わりに話しかけること間違いなし!な映画だった。
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