行きつけの本屋『Foyles』で、この『anjin』のポスターを見て、
「見たいな~、場所はSadler's wells theatre(サドラ―ズ・ウェルズ・シアター)だし、近いし、行きたいな~」とニックにアピールしてみたけど無反応。
「ロイヤル・シェークスピア・カンパニーのグレゴリー・ドーラン演出って書いてあるよ、この市村正親って人は日本の良い俳優さんなんだよ、タレントじゃないよ、だからきっと面白いよ」
と、再度ポスターの前でねばったけれどスル―。
それはまだ2012年の年の瀬の頃だった。
期間が1月31日から2月の9日までというし、もうすぐだし、チケット売れちゃうだろうし、
どうしようかな、一人で行こうかな、、、
と考えていたのだけど、つい先日ロンドンに来たニックの両親と観劇についての話ついでに、
一人でもどんどん行くように、2013年はロンドン生活をもうちょっと頑張りたいなと言うと、
「一人で? ニックと行かなきゃ。出かける時はニックと一緒じゃなくてはね!」と軽いお達しが出た。
だからといってまごついたわけでもないけれど、なんとなく勢いがなくなったのも確かで、
そのまま、どうしようかな、、が続いているうちにすでに2月8日になった。
9日の朝、今日が最後だね~盛況かしらね~と思いを馳せていると、コンピュータの前に座っていたニックが、
「今日、anjin観に行こう!」
と。
は? 何言ってるの?
と言うと、行きたいよ僕、とニック。
「出た! またもやいきなりの予定立て! な~に言ってるの、仕事たまっているし、今日は最終日なんだよ、チケットなんて取れないよ。」と笑って言うと、
「いや。まだあるってさっき調べた。」とニック。
どーしたの? 全然興味なかったじゃない、と言うと、
「思い出して調べてみたら、イギリスのウィリアム・アダムスと家康の話ってやっと分かって興味が出たんだよ」と。
今頃?! 今日になって?!! しかももうラスト公演始まるんじゃ?!!
「そう!!! だから、ミキ、急いでよ!」と。
出た~~~~~~っっ、この自分勝手男~~~~っ!!
そんな流れは慣れっこなので、私は笑いながら、ダメダメ、仕事だよ仕事、締切あるでしょ、やばいでしょ、そんなこといきなり決めないの、、、
とあしらうと、
いやだ!! どうしても行きたいんだ!!とニック。
また次の機会にと言っても「うそだ! 次なんてない!」とか、以前も別のキャストだけどロンドンでやったらしいしまたその時にでもと言っても「今日観たいんだ!」と彼も譲らない。
そんなやり取りをしてる間に、もちろん私の心が揺れないはずもなく、観たかった劇だし、まさか観れるとは思わなかったのでこの流れに気分がだんだんと高揚してきた私はニックの間近に迫る締め切りに片目を瞑り、ついにOKの返事をした。
そして感想。
行って良かった観て良かった!!!
とても面白かった!!!
しかもさすがSadler's Wells、遠くても舞台の隅々までが観やすく、居心地が良い席だった。
ところで、ストーリーは1600年、日本に漂着したウィリアム・アダムスという名のイギリス人がその後自国に帰ることが出来ないまま、家康のお膝元で働き、命を受けて領地をもらい、その領地は三浦にあったので性を三浦、航海の技術を持っていたので水先案内人の意味で名を按針、そうして三浦按針となり、刀の携帯を許され、日本初の外国人サムライになって、お雪という女性と結婚して2人の子供をもうけるというその波乱万丈な人生についてなのだろう、、と漠然と出かけて行った私だったけど、
そんな隙間だらけの詰め込み予備知識しかないまま観たせいか、すごく勉強になった。
劇は家康の天下統一から始まって、クリスチャンの広まりからクリスチャン弾圧、鎖国までを3時間で見せていたが、
どうやら家康はウィリアム・アダムスが船に積んでいたヨーロッパ製の大砲を使って関ヶ原の戦いに勝ち、天下統一を成し遂げたなんて、今まで全然知らなかった!
そりゃ~”この男は幸運を運ぶから放してなるものか!”と家康が思ったのも無理はないな、、と納得した。
しかしすごいね、
その時代の日本にやってきて、家康にその当時の世界を伝え教えたなんて。
イギリスに置いてきた妻と娘を思いながらも日本でも妻子を持って、いわゆる二重婚のまま、1600年から20年経った1620年に亡くなるまで日本に留まった按針、
よっ!! さすがイギリス人エゲレス人!!
宗教にこだわらないのが幸いして、昔も今もアドベンチャ―・スピリッツは変わらずだ。
そういえば作家の森瑤子さんの夫もそんなして日本に来たと聞いたっけ。。。
というか、ファー・イーストと呼ばれる遠い国・日本に来て、日本に長く住むようになる外国人は多かれ少なかれ皆、按針とも言えるね、、と思う。
ところで劇中で、クリスチャン弾圧の時のお雪がクロスを胸に抱きながらのシーンで、
按針が「そんなものは意味がない、外してくれ!」と懇願する。
本当に言ったのかな? そういうところがイギリス人はいいよな、と思わず笑ったが、
しかしお雪がクリスチャンになったのは、按針、お前がそもそも2重婚したのを知っての、苦悩の故だったんじゃあるまいか、、と想像したら、お雪が可哀想になってしまった。
ボケボケだけど。。。最終公演の舞台挨拶。
それにしても、市村正親という人はなかなかうまい俳優だなと、日本の俳優さんについてあんまり、、というか全然知らない私は感動した。
なんとかこの市村という人については舞台俳優というだけの知識があるのは、実は友達を彷彿とさせるからで、しかもその友達はオーストラリア人で名前はカール。
そんなわけで、たまにテレビでこの人を見かけると、”あ、カールだ”と言わずにはいれないという、そんなしょうもない程度のことだけだったのであるが、
それが今回のこの観劇のおかげで、日本の舞台俳優もすごいんだね、と思わせてくれたのであった。
深い地響きのような舞台俳優の声ではない人なので、彼が舞台に出て少しの間は”あれっ?”という感じだったけれどもそれも数分で、なによりも家康についてもっと知りたいと思わせるほどの憂いを備えた家康だったのが私の好みにドンピシャだった。
当時日本で家康に仕えていたスペイン宣教師達はやたらにウィリアム・アダムスを死罪をにするようにと家康に進言するのだが、ウィリアムはイギリスとスペインの間がどんな状態にあるかを家康にはっきりと伝え、
そして家康は死罪を命じることもなく、ウィリアムを横に置くようになる。
そこにはなにか、家康の心に通じるものがあったのだろうと、そんな微妙な心を、この俳優さんはセリフではなく、”間”で演技していた。
そんな彼は、劇が終わってカーテンコールも終わってからも、何度もお茶目なポーズをしてステージに出てきたのだが、
この人、もしかして、コメディーの素質の方が高いのかしら?
と思った。
劇中、ジョークがいくつもあったのだけど、ウィリアムスにミニチュアの船を作って見せられた家康が、
「、、、小さいな、、、。」という場面、その絶妙のタイミングが特に素晴らしくて爆笑したし!
ニックもかなり楽しんだらしく、「面白かった!」と連発。
ロンドンでこういう日本の劇を観るのもなかなかオツだし、やっぱり芝居って良いものは良いのだなぁと感激した。
機会があったら次は迷わずぜひ行こうと思う。
ところでなぜニックは最初にポスターを見た時にも私が誘った時にも全く興味を示さなかったのかと訊いてみたら、
ニック曰く、
「あのポスターが変だったから」。
そうだね、そういえば、そうだね、
なんであんなポスターだったんだろうね、確かにね、、、
もっとなにか、別の物が作れたはずだろうにね、、、
と思ったのだった。
なんでだろ??
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