2013年2月22日金曜日
コートールドギャラリーでピカソ展
コートールド・ギャラリーのメンバーになっているので”お知らせ”が届いた。
ピカソ展が来るという。
さっそくその週末、ちょうどニックの両親もロンドンに出てきているからということで、
一緒に出かけた。
コートールドに着いて見ると、とんでもない寒さにもかかわらず長蛇の列。。。
マジかよ~~~☆★☆、、、、と、とにかく並ぶことが嫌いな私は即回れ右をして計画変更、当然ニックの両親も回れ右だよね、と思って彼らを見ると、クレアとヒューは列の後ろに立っていた。
そうだよね、ピカソだよね、
加えて今日は金曜なのだったよね、
と、私もその後ろに立ったのだった。
今回のピカソ展のタイトルは、
「BECOMING PICASSO PARIS 1901」
だったので、ピカソがピカソとなる前の作品達ということだったけれど、
若い時のピカソも、
しっかりピカソだった。
ピカソの青はピカソの青で、
ピカソの緑はピカソの緑、
オレンジも白も、線も構図も、もう全てがピカソ様。
これはもう、絵という美術を分かるか分からないかという次元じゃなくて、
まだ若いピカソ君に「ねーねー、ちょっと見てくれる?」と絵を見せられた誰もが、
オマエ、すげーな!
と言うであろう、才能が溢れて流れ出している絵達だった。
数えてみれば、1901年というのはピカソまだ18か19の年で、それまではバルセロナの美術学校で絵を学んでいた彼がちょうどパリに居を移した前後。
だからスペインの踊り子の絵も多いのだなぁと思いながら、
その後の26年後、1927年にパリの街角で一人の女の子を見かけて気に入ったピカソが、
「私はピカソだ。一緒にすごいことをしよう。」と言ったエピソードを思い返さないではいられなかった。
それがまだ17歳のマリーテレーズ・ワルテルで、
つい先日にもロンドンのサザビーズのオークションで彼女がモデルの絵の一つが42億円くらいで落札されたのだったのも記憶に新しいけれど、
おい、ピカソ。
1927年と言ったらオマエ45か6だろ?
17歳の女の子に声をかけるなんて、エライ勝負に出たもんだね!
しかも「私はピカソだ」なんて、
そんな自己紹介するヤツは、この地球上、ジェームズ・ボンドとピカソぐらいのもんだと思う。
ゼウスもそう言ったらしいが、彼は神だし。
かなり可愛かったんだろうね、マリーテレーズ17歳!
しかも、美術のこともピカソのことも知らなかったらしいのに、
すっかりそのままピカソに魅せられたというから、ピカソの才能はそのまま魅力になって、顔中体中に出まくっていたのか。
マリーテレーズはそれでニョキニョキ付いて行ったのか?
そんな風に、その後のピカソをバックアップするものとしても見所満載な1901のピカソ展は、
5月までまだやっているというからまたぜひ足を運んで再び堪能したいと思わせてくれた、素晴らしいものだった。
あぁ、ピカソも私の前に現れて、
「私はピカソだ。一緒にすごいことをしよう!」と言ってくれないかしらね。。。
などと想像も更にたくましくなる42歳だった。。。
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