2013年9月30日月曜日

ラドュレでマカロンを買ったニックだが。



ちょっと前の話になるが。




ラドュレの前を通りかかると、


「パリで買う方がなぜか美味しいのは分かっているけれど、でも久し振りだし、マカロンを買ってあげるよ!」


とニックが言った日があった。



ケンカをした後だったので、そういうことを言ってくれているのを分かっていたから、


いやいやいや、ケンカをすると出費がかさんでイカンよ、いらないいらない、


と言った私を振り切ってニックはラドュレに入って行ったのだった。






なぜか手を前で組むニック


店内はとても狭いので、私は入らずに外で待っていた。


なんだか真面目な顔をしている上に、手を組んでいるのが面白く、


もしかしてラドュレで緊張してるのかな?なんて思ったりもしてたのだ。









まだ組んでいる手。

店内にはいつも男の人の方が多い。この日も同じで、恋人に買っていったりしているのだろうね、、と思いながら、そこにニックがいるのはなんかやっぱり似合わないね〜と面白かったりもしたのだ。





箱でどっさりもらったら、女の人は困っちゃうね〜、と、店員さんが持っている箱を見て思ったりしたのだった。向かって左横にいる男性はニックじゃないな、良かったそんな散財する必要ないんだしね、、とホッともしたのだった。








そして買って店から出てきたニック。箱ではなく、袋を持っていた。

「ありがとう!」と私が言ったのを合図にニックが袋を開けた。




そしたら。


じゃじゃ〜〜〜ん!!
。。えっ?? 一個??。。


絶句していると、

「だってミキがお金使わないでって言ったから。。。」

と、ニック。



本当にビックリしたのだった。いや、確かに箱買いは困ると言ったけれどさ。。。







なんだか特別な気がしてきたので、急遽の写真撮影。
これが本当のOne & Only。

向こう側に見えるラドュレの袋よ、たった一つの為にごめんなさい。




たった一個を見ているうちにこのマカロンがとても可愛く思えてきたりもして、

ニックのこういう所も、まぁキュートだよね、、とも思ったりもして、

でも、そういうのがいけないんだよね、と。


私がイギリスを出て行った後は、どんな女と付き合うのだろう、とか、

ロンドンにいる高そうなお姉さん達とどうやって付き合う気なんだろう、とか、

でもきっと女の人が上を求めたら男の人もそうなろうと努力するものなのだろう、とか、

と考えるとやっぱりある程度の物欲は女の人が持たなきゃ失敗するんだろう、とか、

それを考えたらやっぱり私が良くないんだろう、とか思ったのだった。


たった一つのマカロンのせいで、いろいろと複雑だったのだ。

そしてやっぱり一つを半分こしてニックと食べたのだった。



2013年9月29日日曜日

なんちゃって鯖コロッケ


歯を抜いて約一週間が経つ。

あの後歯医者さんを出て、自分でも分かるほどハイな気分でやたら喋りまくっていたら、いきなり背中にゾクリと悪寒が走った。


そういえば冷や汗がまだひいていない上に肌寒い日だし、気が付いたら診察室にいた時のままの格好で外に出てきちゃっているし、気分は決して悪くないけれど、きっとアドレナリンのおかげだぞ、気をつけなきゃヤバいぞ、



と思ったにもかかわらず、その夜しっかり高熱を出した。

それからずっと今まで一週間、熱がひかない。



その上、矯正ワイヤが歯を抜いた所にギュウギュウ締め付けてきて痛くて痛くて拷問に遭っているようだ、、と泣き言をニックに言ってしまったら最後、収拾がつかなくなりそうで怖いから自制しているのだけれど、それもだんだん限界の兆しを見せてきている。
当然のことながら食欲はない。

すると、


「柔らかくて食べやすいものを作ったよ!」


とお皿をじゃじゃ〜んと差し出してきた。

この形! 見て一瞬、吹き出しちゃった!




先日、テレビ番組『Come Dine with Me 』で一人がスモークしたサバをマッシュに混ぜていたものを’‘フィッシュ・パイ’’としてスターターで出していたのを見て、「簡単そうだけどおいしそう〜!」と叫んだのを覚えていてくれたらしい。




レシピはシンプル。

安いサバとマッシュを混ぜてフライパンで全面を焼くだけ。


好みでナツメグ加えたり塩コショウで調節したりパセリを刻んでいれたり、いろんな応用が効く。


サバも、薫製していてもしてなくても、日本だったらお手軽な缶詰でもなんでもいいから、ただそれをマッシュに混ぜればよい。


ニックの場合はスーパーの『テスコ』でスモークサバ真空パック入りが2、3ポンド程度で売っているのを買ってきて、ちょっと焼いて使っている。


今度は周りにパン粉をまぶして揚げるように焼いてくれるというが、私はこれで充分になんちゃってコロッケとして楽しめる。

それにレモンを絞って、日本のブルドッグソースに付けて食べたら、大満足。



そういえば、’’コロッケ食べたいな〜、日本にいた時に大して口にしなかったのに、イギリスに来て無性に食べたくなる時があるな〜’’と言っていた私、


本当に、なんでこんなに揚げ物文化の国でジャガイモがバカバカしいくらい安いのに、コロッケがないのでしょう??







2013年9月27日金曜日

すごく可愛いレインコート


ちょっと前に見た光景だけど、あまりにキュートなのでアップ。








何かを、誰かを思い出す、、、、と思っていたら、

オバケのQ太郎のOちゃんだった。


2013年9月23日月曜日

歯科矯正のための抜歯




9月23日。

それは抜歯の日だった。


この日、待合室で名前を呼ばれるギリギリまで、迷った。

今だったらまだ間に合う、既に付けているブレイスもワイヤーも外してもらって、なかったことにして帰ってしまおう、もちろん前金は戻っては来ないけど、、、とニックに言うと、


「お金の事は心配しなくていいと思う、後はミキ次第、歯を抜いたらもう後には引けないからね」と言われた。


そんな風に言われ迷いに迷っているうちに、矯正専門のDr. ハイケから名前を呼ばれた。


歯を抜く前に、2週間前に装着したワイヤーをいったん外すのである。ブレイスはそのまま。


時間は10時20分、抜歯予約は11時、まだ40分あるぞと、、、ここまで来てまだ決断を後回しにしながらしかし緊張のあまりヘラヘラとハイケの後ろに付いて診察室に入った。



10分もしないうちに終わり、また待合室に戻った。



ワイヤーが装着されていない口の中の開放感を2週間ぶりに感激しながら、やはり矯正など間違えていたのだ、、とつくづく思っていると、歯科矯正中の女性が目の前に。

矯正中ながらとても綺麗な歯並びをしているので声を掛けると、

「私はもうあと1週間で終わりなの。やって後悔はないわよ。私は全く後悔していない」

と、美人さんは私の背中を押すように笑顔で言う。




そうするうちに彼女もハイケに呼ばれて診察室に消えて行きながら、


「彼女は中側にするのね!」とハイケに話しかけている声が聞こえた。


また悩みまくっているうちに彼女がまた診察室から出てくると、

そんなにも私の姿が不安でいっぱいだったのだろうか、とっても優しい言い方で、

「大丈夫よ。もちろん最初は大変よ、でもそれだけ。」

と、重ねて言って帰っていった。


ついに歯科医のDr.ソーセンが現れた。


「用意はいい?」と言われ、全く良くないのだが、緊張のあまりと決断してない故の度胸のなさで私の顔はヘラヘラし、気が付くと、


「はぁい。」


とヘラヘラ答えていたのだった。





診察台に体を横たえたらもう観念したという他はなく、正真正銘の''まな板の鯉’’だなと思いながら「まずは下からね」と言われた。



そう、下、上、一本一本で計2本だったのだ。。。



まさに、冷や汗をかきまくりながらの時間は、賞味30分ほどだったと思うがまさに永遠に続くかと思われた時間だった。


なんでこんな事をやっているんだろう、、、とその間中ずっと思っていたのだった。





頑張ってはいるが、ヨレヨレな自分


また待合室に戻り、再びハイケにワイヤーを装着してもらうのを待っている間の記念撮影。



自分がどこに向かっているのか全く分かっていないと最近になって再認識したが、そんなことを42歳で再認識しても、いまさらもって全く無意味、だったら前進あるのみ!なのが中年の強さなのか。。一応はこうして笑顔を見せている私だった。



ニックがしきりに「終わったね〜、良かったね〜」と言ってくれているけれど、そうだよね、付き添いもしんどいね、、とニックに感謝。そう、とにかく、終わったのである。





2013年9月20日金曜日

ソフィア・コッポラの映画『The Bling Ring』 もちろんネタバレなし



大好きなソフィア・コッポラの映画、その名も『THE BLING RING』。


10代と20歳そこそこの7人がセレブの家に押し入り強盗をしたという実際に起きた事件が基になっていて、その犯行手口が特殊なことから皮肉って付けられた彼らのグループの名前がBling Ring。


2008年10月から2009年の八月にかけて行われたその盗みは合計して、3million=約3億円のキャッシュにもなり、他にもサングラスやローレックスやカバンなどの物品もあったという。


そして50以上の家が被害にあったとしながらもそのほとんどの戦利品はパリス・ヒルトンのものだったという。



そういえば、あったあった、そんなニュースが日本でも流れましたっけ!

『パリス・ヒルトンさんが強盗被害に遭いまして、、、』と。


その時、パリス・ヒルトン’’さん’’か〜!わはは!!と面白く聞こえたのを覚えている!


しかもその後も何回かあったのも、覚えている!!



そーか、あの事件はこういう事だったのか、と今になってやっと分かったのだった。




映画では、彼らの頭が盗みなんかを始めるずっと前から既に’‘セレブ’’という言葉に精神破壊されてしまっているその様子を見事に映し出していて、それがあんまりにぶっ飛んでいるから可笑しくて面白くてつい’’ぶッ☆’’と笑ってしまう場面も多かった。









フレッシュ・フェイスな彼女Katie Changが最高に上手い




つい私のハートがドッキュンされちゃったエマのこの表情


俳優人はみな一級品の演技力、すごいなぁとこの映画が感動の超大作ではないだけにそのナチュラルな演技が光っていた。




ところで、パリス本人も出演しているのだけれど、すごい演出のされ方で、よく出演をOKしたな!さすがセレブと呼ばれる事で生計を立てている人は恥ずかしいものはなにもないのだなと、今更ながら敬服した。


彼女の家のシーンでは大爆笑できるから、ぜひ観て欲しい。

ホント、爆笑間違いなし



ソフィア、絶対にワザとやったな、、、と思ってしまうのは私だけじゃないはず!






2013年9月18日水曜日

BFI でゴシックホラー映画『The Innocents 』

メンバーの有効期限が切れる前に最後の一回、『イノセント』をBFIへ観に行った。

ヘンリージェームズの短編『The Turn of the screw』をもとに、Jack Craytoが監督・プロドュースしたもの。





主役のデボラ・カー

なんとなんとなんと、な!


彼女はスコットランド人、しかもグラスゴー人なんだって!!



初めて知ったわ!!



いや〜、前々からグラスゴーには最強の女がいるとは思っていたけれど、デボラ・カーもその一人だった!!


父は映画『King and I』、日本語のタイトルもそのまま『王様と私』で私は英語でIは後ろに来るというのをそこで覚えたのだったが、あの映画の彼女にやられちゃったのである。





そのデボラ、ゴシックホラーでもその端正な顔を生かして充分恐怖感を表していた。

1961年のこの映画、Freddie Francisがカメラを回し、ディープフォーカスを頻繁に使って最小の光に制限する事で、それはそれは雰囲気が絶妙、しかも美しい。さすがホラーではなく、ゴシックホラーなのだ。


でもそれはデボラ・カーの端正な顔があってこそ。

ちょっとした顔でも陰影をだせるよな、あの顔じゃな、、と思って試しに部屋を暗くして自分の顔に光りを当ててみた。



。。。。。やっぱりな。。。。。。。






フローラ役の女の子とマイルズ役の男の子。
’’気味が悪い子役’’順位にも入っているくらい、演技がすごい。


名前も嫌だ。フローラにマイルズって。。。うわっ☆



バス待ちしながら見るクイーン・エリザベスホール



やっぱり昔の映画はスクリーンが基本だから、絶対に大きなスクリーンの方が色々と気が付くことが出来るから面白いと思った。




2013年9月17日火曜日

あ〜ゆ〜音楽、、、って?



7月にクラシカルギターのサマーショートコースに入って5回のレッスンを受け、

9月からきちんとしたコースへ入る。


アダルトエドュケイションってやつだ。


先生も引き続き同じ人なのだが、その先生がこの日ライブハウスで演奏するといい、出向いて行く事になった。


いつもだったら億劫がって出かけないのに、やはりギターに対してはやる気があるらしい、ニックに地図まで書いてもらってチューブを乗り継いで出かけた自分に驚いた。









いい雰囲気のライブハウスだよと、先生は言っていたけれど、着いてみるとなるほど、良い感じだった。

なんといつもはジャズがメインらしい。




壁中に飾られたジャズ演奏者とこのライブハウスのオーナーとの写真を楽しんで見てたら、「ジャズ好きなの?」と演奏前の先生が寄ってきて不思議そうに聞いてきた。


「へぇ! あーゆー音楽好きなんだ?!」と驚いている先生の顔を見ながら、いや〜、ジャズって言ってもいろいろあるんだけど、、、と思い、でもそのままにしておいた。











先生だけではなく、後にも別のジャズセッションがあると知ってもっと長居をしたかったのだけど、夜道を遅くに帰るのが嫌だったので先生の演奏終了と同時に帰ったのだった。


次回はぜひニックと行こう。




ところでサマーコースで一緒だった人達とも会え、帰りの電車にも一緒に乗ったのだけど、話が先生の演奏の事になった。


感想を報告し合っていると、途中でその一人が「あなたは○○の曲の演奏はどう思った?」と聞いてきた。すると、横から別の人が、「ミキはあ〜ゆ〜音楽が大好きよ!」と言った。



へ? サマーコースで5回一緒になっただけで何をおっしゃる??


と思ったが、それよりも、音楽についてジャンル分けをしている人が、私が思うよりも案外多いのかもと面白く思った。先生も「え? ジャズ??」だったし。




良いのはなんでも良いのだがな。


ヒップホップもクラシックもジャズもテクノもポップもR&Bも日本の曲も英語の曲もスウェーデンの曲も、


最高の出来だったら好きだよ。


ゴハンと一緒。おいしいものだったらどこの国の料理でも構わないのと一緒、マズいものはイタリアンだろうが日本食だろうがフレンチだろうが中華だろうがマズいのと一緒なのにな、と不思議に感じた日でもあった。




しかし、あ〜ゆ〜の、っていったい、ど〜ゆ〜の、なんでしょう??






2013年9月14日土曜日

日本語の発音

大喜び




やっと迎えるベランダトマトの豊作シーズン。


例年(といっても今年で3年目)より甘くなく、皮も硬いのはさておき、やっぱり私も嬉しい。


少し苦くて皮がどうしても硬いのは生じゃなくてもいいしな、料理に使ったり、オリーブオイルに漬けてもいいしね、、と色々と考えを浮かばせていると、


「ほぉら〜ねぇ! 一杯採れるでしょう! 心配し過ぎだ〜か〜らぁ〜!!」


とニックが言ってきた。



いつも絶妙なタイミングで真反対な発言をしてくることに素晴らしい才能を発揮する彼だが、それに加えて最近のニックの日本語がオネエ化してきているその発音も、聞いていて本当に苛立たしいったらない。



日本を出てもうすぐ3年、彼が日本語で話す相手はもはや私しかいない。

日本にいる時も日本人の友達が多勢いるわけではなかったニックだけれど、それでもやっぱり日本語に囲まれて日々の生活を送るのとは訳が違う。


聞き取りもどんどん悪くなっていくし、その上、オネエ言葉?!!


ヤバいだろ、それは。


「日本に帰った時のためにもそれは気をつけてね」

とことあるごとに注意しているけれど。



しかしそこで気が付いた。



私の日本語が悪い?!!



ニックがそんな風に発音し始めたってことは、私としか喋ってないんだし、私の影響ってことじゃないか?!



オネエ言葉は、ちょっと間延びしたような、甘えを含んだような、まさに男性が女性になろうと意識するがあまりに全面に押し出るあの喋り。周りに私は女性だと理解してもらいたい故のあの発音。


そういえば、いつの間にかニックに私の言っている事を100%理解してもらいたいがあまりに会話時も意識してなるべく気持ちを大げさに言おうとするようになったっけ。


簡単に言うと、『ひらがな弁』ってことだ。。’’えぇ〜〜っ!’’とか、’’あ! そうなの?!’’とか、’’ほんとに〜?” とかの手合いが以前よりよく入っている。


そのうちに大げさになり過ぎて私の日本語がまるでオネエ系のようになってしまったと言うことか??



オネエだったら心地よく聞こえるのでいいけれど、私は仮にも女だ、その喋りはいかん、逆にアホに見える。。。。。。。



ということで、ニックごめんね、私のせいだった。








2013年9月10日火曜日

検査のせいで起こる発作


知り合いのお見舞いに出かけた日。


「どこら辺に病院あるんだろうね〜?」とニックに話しかけながら歩いていると、


「え? あれだけど?」とニック。








「え? あれだけど?」な病院


え? あれが病院なの?!と私が驚いたのは言うまでもない。

団地住宅みたいじゃないか。

イギリス大丈夫なのか??とビックリだったけれど、そういえば、京大病院も古い方はあんなんだったな、、と思い出した。


治療さえしっかりされていたら文句はないか。










でも正面玄関に来たらマトモに見えた。良かった。





ところでその知人は心臓テストを受けにいって、その最中で心臓発作を起こしてしまった。そして入院治療のために、家に近い病院へ移送されたのだった。


心臓テスト中の心臓発作。1000人に一人とかの確率で起こるそのリスクは最初から説明を受けていたのだが、しかし誰もまさか自分がその一人になるなんて思わない。見舞った時に見た彼女は回復し始めていて一安心したのだけれど、体が回復していくに連れ、今度はだんだんと精神的ショックを感じ始めていたみたいだった。



私もCTテストで発作を起こした。CT造影剤で引き起こされる発作のリスクはあるにはあるが決して高くないと思っていたしそれまでにも何回かやっていた。にもかかわらず、その日起こってしまった。




それはひどい苦しみだった。何が起こったのか全く分からない。いきなりサイレン音が響き渡り、そのうちに頭も視界もボーーーッと霞んできて白っぽくなっていく。体の上では誰かが「ステロイドだ!」とか「押さえて!」とか言っていて、’’ステロイド? あぁ、私またなんかあったんだな’’と、まるでそれは幽体離脱。



結局、ステロイドで発作は治まった。帰り支度を始めながら、’’これって帰ってもいい状態なのかな???’’と不思議に思いつつも、医者や看護師達がすごく動揺している様子を見ていたらそこにはもはや一秒たりとも居たくはなかった。



そして気が付けば、ボーーーッとしてゆらゆら揺れている頭で書類にサインだかを私がしているのを無言で待っている医者達に腹が立った妹が、いったいなにがあったのか説明して、それをはっきりと紙に書いて欲しいと強く言ってくれていた。


あの時は妹が付いてきてくれていたので本当に助かった。心強かった。
もしニックだけだったらあんなにシャンとしていたかどうか。


そしてそのやり取りを他人事のように聞きながら、’’アナフィラキシーショック’’と言う言葉だけを耳が拾い、’’あぁそ〜か〜、やっぱりあれがそうなんだ〜’’とやはり他人事のように感じていた。


リスク説明にあった、’’症状はかゆみや発疹・発赤、嘔気などが多いが、眩暈やしびれ、咽頭浮腫など、重篤な副作用の前兆とみられる症状が現れることもある。ごくまれだが、免疫系の劇症反応であるアナフィラキシーショックが起きると、呼吸困難や血圧低下で死亡することもある’’っていう、あれか〜と。じゃ、今夜死ななくて良かったね〜妹が京都に来てるしね〜と、思った。



病院を出て直後、3人で自転車をこいで(!)家へと向かっていながらまだ体中から引かない冷たい汗に風が当たって気持ちいいいな〜と思っていた。そして「ね〜、お腹空いたねぇ、食事でもして行く?」なんて言って、2人を’’はぁ???’’とさせた私。だから今回の知人の件では彼女の気持ちの動きがよく分かるのだった。気持ちの動きと言うよりもアドレナリンの動きというべきか。









’‘ホンモノかよ?’’と唸ってしまったほどのピンク


他は普通の色。この3つだけがこの色。


私の件に関して言えば、あれ以来、もう私のCTテストでは造影剤が使えなくなってしまった。

知人はこれからリハビリが始まる。



ニックの今は亡き祖父は、一生医者とは無縁だった。そういったものを一切受け付けていなかったらしい。それは彼の娘であるニックの母にも受け継がれていて、とにかくリスク回避が最優先事項、日本の人間ドッグの話なんかをするともう絶句してしまう。そりゃ〜しなくてすめばそれに超した事はない。が、そういう訳にはいかないと言っても決して’’うん、そうね’’とはならない。そういう検査が病気の早期発見につながると否定は出来ないはずなのにもかかわらず、だ。



今回の知人の事によって、ニック母が’‘だから言ってるでしょう’’とやはり言った。


私はただただ、検査に行って検査のせいで発作を起こしてしまうのは、本当に残念なことだなつくづく思うのだった。




追記; 私のその発作の少し後で、2番目の主治医だった大好きな先生との面談があり、私はなんとなくバツが悪く感じて報告を避けていたのが、ニックが横で、「アナフィラキシーショックを起こしまして、、」と言ってしまった。言った途端、先生は「はぁ〜??!」だった。確かに、はぁ〜〜??だよね。


2013年9月8日日曜日

ギターとパブと歯科矯正と。

ロンドンの宝物







バケツに入ったチップス




マヨネーズもこんな入れ物に。

ギターを始めてから、パブに行く事が多くなった。


嬉しいやら哀しいやらは別にして、


さすがパブ文化英国! 色々な事が新鮮。






やはりロンドンの宝物

この日はギターの先生トニーに付き合ってもらってロンドン歩きをした。

というのも、心配事があって、気を紛らわせるためだった。



なんと!! 明日は、歯科矯正のブレイス&ワイヤーを装着する日。


。。。。。。今日で自由が終わるのね。。。。。


今だったらまだ全てを無効に出来る、という気持ちがこの直前でも消えず。あぁ。。。




2013年9月7日土曜日

土曜の散歩

ブラック・フライヤーズ駅




ワイヤー芸術
どうやって作ってるんだ?とジッと見入ってしまったほど、なワイヤーアート。


線がなんとも言えず、まるで鉛筆書きしたかのよう。


2013年9月5日木曜日

ニモ君がアーセナルに来た!

大好きな数字11

ニモ君



嬉しい。


喜びのアーセナル。


ヴェンガでかしたね!!  


動くマネキン

惜しい!!


マネキンはホンモノ、人間だった。


最初は驚いて、面白い趣向だな〜と喜んで見始めたのが、

彼女が動き出したらストリップ・バーのなんとも場末な感じになったので残念だった。



映画『マネキン』と主役のアンドリュー・マッカーシーをしつこく好きな私です。




ガーキンのライター


リバプール駅近くの憩いの場

チェスも出来る。

これは楽しそう。こんなに暑い日は大変だけど。



可愛いガーキン

左横に見えるのはチーズおろし器。



ところで映画『ベイシック・インスティンクト』覚えてらっしゃいますでしょうかね?

シャロン・ストーンが超せくすぃ〜な、スカートの中身が見える見えないで大騒ぎとなった、あの映画。

大ヒットだったにもかかわらず、2が出来た時はマイケル・ダグラス不在も大いに手伝って、コケまくり。そのヒドさは予想通りとはいえ、1にまで泥を塗るような結果になってしまった。



2の方が何回もテレビで放映されているのは知っていたけれども、それでも見る事はなかったのが、つい先日テレビを付けた時にやっていたのでタラタラ見始めた。


最初は舞台がロンドンだったことにまず’’ほぉ!’’と思いながら見ていくと、


やはりヒドい。底抜けに酷い。



でも、評判を知っていただけに取って付けたようなストーリーにもそこまでの衝撃もなく、’’この男優なんとかして〜。 いくらロンドンが舞台だからってこりゃ〜ないわ〜’’くらいの反応で、でもそれさえもパロディ版みたいでオモシロ可笑しく見られない事はなかった。それもシャロン・ストーンの美しさのおかげゆえ。

いい女だね〜、滅多にいないね〜、、とか思いつつ、彼女の手にしたライターに目が行って、釘付け。


なんと、そのライター、ガーキンだったのだ!!



わかる? ガーキンの頭の黒い部分がパカッと開いて、火をつけるようになってるの。



それを見て、可愛い。。。と強烈に感動したのだった。


以来、モーレツに欲しいものがそれになっている。


どこかに売っていないかしらね?


ライターどころかガーキン物自体がもっと増えても良さそうなのになあ!






ウォーキー・トーキー

なんと、このビル、出来た直後に問題発生、’’反射光で車が溶けた’’という。

このビルに反射した熱で車を溶かした、、って、ビル作る前に予想出来ないことなのかね?









ロンドンはすごい勢いでどんどん新しい建物が生えてきている。

どこに向かっているのかは不明。



2013年9月3日火曜日

映画『市民ケーン』;Citizen kane

とんでもない男’’オーソン・ウェルズ’’

テレビではよく放映しているが、今まで一回もしっかりと最初から最後まで観た事がなかった映画『市民ケーン』。

念願叶って、やっとスクリーンで観ることが出来た。


今まであちこちのシーンが繋がった端切れのパッチワークみたいだったのが、今回ようやく一つの映画となってくれて、しかもそれはを思っていたよりも遥かに素晴らしく、歯科矯正が始まる前に観る最後の映画だと分かっていたので今日は思い切りポップコーンを食べたようと思っていたのに映画が始まったらすっかり忘れてしまったほど、見終わって直後は席をすぐに立てなかったほどだった。

今頃になってオーソンウェルズにやられちゃったんである。遅いね。




男の魅力はルックスでは決してないなと改めて思わせてくれたオーソンウェルズ、彼の幼い頃の説明には、


’’詩、漫画、演劇に天才的な才能を示す子供であったが、傍若無人な性格で人間関係に問題があり、母を9歳で亡くし、父はアル中の発明好き、祖母オカルト好きで彼とは嫌い合う仲であった。学校では怪談話やホラ話、手品の腕前などを披露した。ある日肥満が原因でイジメられるとトイレに駆け込み、赤ペンキで顔中を塗りたくり、大怪我をした振りをして相手を狼狽させ、以降はいじめられなくなったとのエピソードも残る’’


とある。


やはり、、、奇人だったのだ。



そんな彼が1941年、たった25歳の若さでありながら、監督・脚本・制作・主演をこなしたという、とんでもない作品が『市民ケーン』。

白黒映画は映画館で、、とそのカメラワークから常々思うけれど、この映画に関しては、とにかく彼がどんなに魅力的で非凡だったかが大きなスクリーンから溢れ出る溢れ出る! 
だからもし映画館でリバイバル上映があったら絶対に観た方が良い映画第一位だと思った。


でも当時は興行的には失敗していた。

新聞王であるウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルだとされる『市民ケーン』は彼の私生活を暴露しているとハースト系の新聞から猛バッシングされ、上映出来ない映画館も続出するなど、’’世界映画史上作品ベスト10’’で40年間第一位の座についている現在の評価からは想像出来ない扱いだったという。

一回でもビジネス的にコケたらハリウッドでは居場所がなくなるのは今と同じで、以降、彼の映画製作は苦しくなっていく。


実は私にとってオーソンウェルズと言えば、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に収まっていた『イングリッシュアドベンチャー』のドリッピー。ナレーションをしていたのがオーソンウェルズだったのだが、毎月届けられるようになってしまったそのテープと小冊子の支払いに頭に来た母が父に報告した際に、



「ほぉ! オーソンウェルズか! ちょっと聴かせてご覧! あぁやっぱり凄いね、ナレーションと言ってもさすがだね」


と父がなぜか興奮気味に母そっちの気で話し始め、しまいには、


「ちゃんと聞いて耳で覚えるようにしなさい」


とまで言われてしまった。


私はもうその時点で何度も断ろうとしていた教材の交渉が上手く行かないことの訳が分からなかったので、そう父親に言われても’’はぁ??’’だったのだけど、


そんなにすごい人なの?と訊くと、



「オーソンウェルズは第一級の役者だよ、もうあんな役者は出ないねきっと!」と最後のほうはしみじみとした口調で言い、続けて、


「もったいないね、ああいう俳優が引っぱりダコにはなれないんだね、あんなに才能があっても後半はパッとしないでね、こういうことしててね、、、」と言うとその教材をじっと見ていた。


結局、その後少しして、物語がやっぱりつまらないからと止める事を決め、再度交渉し、お金をもう払いませんだから送ってこないでください、、で終わったのだったが、それからもまだしばらくは送られてきていたのがパッタリと来なくなり、そのうちに、どうやらリーダーズ・ダイジェストの方に問題が出たらしいと聞くようになった。


家には結構な数のドリッピーのテープ達が階段の隅に居座る事になったが半端な数なので誰かにあげる事も出来ず、見る度にちょっと嫌な気分になった。



それが最初で最後の私の’’教材’’だ。
教材という言葉自体を当時はよく知らずにいたそれまでとは違い、あれがいい教訓となり、それからは’‘教材’’という名前が付く全てのものに嫌悪感を持つようになった。


あの時にやっていれば今の私のショボショボな英語発音ではなかったのであろうか、、、とも思うが、仕方がない。



それはともかく、そんなオーソンウェルズの私の中での立ち位置が、『市民ケーン』を見た事で全く変わってしまったのだった。



父が言っていた通り、オーソンウェルズは第一級の俳優だった。


そして映画の中のあの有名な言葉’’バラのつぼみ’’の謎が解けた時に、父がこの映画をどんな思いで観たのかと思ったら心臓がぎゅっとして喉が痛くなった。





追記;

ところで市民ケーンはコロンボシリーズのVol.44『攻撃命令』にも出てくる。
男の人同士、「いいですね〜あの映画」と、言っている所を見ると、

やっぱり男の人にとってこの映画は深く思うところがあるようだ。


追記2;

イングリッシュアドベンチャーってどうなったんだろう?と久し振りに今回思い出したので検索したら、なんとシャーリーズ・セロンとジュード・ロウだって!


え?!!


と驚きの発見だった。


頑張ってるんだね、イングリッシュ・アドベンチャー。






’’とてもパッとしてる’’
’’引っぱりだこな’’


















2人です。






ちなみに私の好きなジュードロウの顔はコレ。


大きな追記3;
 ’’あんなに才能があっても後半はパッとしないでね、、’’とオーソンウェルズのことを父は言っていたが、


ちょっと待て!


リタ・ヘイワースと結婚してた時期もあるってよ!

リタ・ヘイワースだってよ!!


オーマイガーーーッ!!!!!!!



充分パッとしてるよ。。。


ちなみに、’’彼自身は持ち前の茶目っ気さでもって、チープな仕事も含めて人生を喜劇的に眺めてそれなりに楽しんでいた’’、とwikiにはあったが、それを読んだらもっとファンになった。今まで共演者のジョセフ・コットンの方にばかり気を取られていてごめんね。




2013年9月2日月曜日

色褪せた緑

少し色褪せた緑が見える今年のトマト


赤い実がまだあまり見られない。


丈も短い

黄色はもっと少ない




そんな訳で、次回の苗植え替えはしっかりしようと誓う!