2008年11月18日火曜日

神泉苑の歴史


レイトショーを観に、二条の東宝シネマに出掛けたその途中、いつも気になっていた”なんだか不思議な場所”と呼んでる所に立ち寄った。 満月だし。




”神泉苑”ていうのか、、、


恐る恐る中に入っていくと右には外からいつも見る赤い橋。その左横には”平八”というレストラン。
いいのかしら、、、と思いつつ、奥へと進んでいくと船が浮かべてあって、そこでも食事をしてる人がいた。

ふうん、、、有名なのかな。。。



赤い橋に立つと、さっきのお船の個室レストランが暗い中にぼうっと浮かんでなかなか風情がある。

満月を眺めていい気分。

でもやっぱり”なんだか不思議な場所”って感じ。

なんか、由緒正しいところなのかな。


レストランも、いくら金曜の夜とはいえ、ここまでわざわざ来るなんて。結構な値段するし。

「ここで食べる機会はなさそうだねぇ」とニックと言い合いながら映画館へ行った。






帰宅後、PC触ってる時、”あ、そうそう、平八って美味しいとこなんかな”と、さすが食いしん坊の私はきっちり思い出し、探してみたら、、、、、


・1200年前、平安京造営時の遺跡である。

・800年に桓武天皇が行幸されて以来、調停行楽の大事な場所となる。

・平安時代には貴族たちが管弦の宴など、船を出して浮かべていた。

・824年、空海が北インドの善女龍王を呼び寄せて雨乞いをしたところ、国中が雨になり、人民が
大喜びしたことからそれ以降、この池には善女龍王が住んでいるといわれている。

・室町時代に書かれた『義経記』によると、日照りが続いたので後白河法皇が100人の僧に読経させたが効果がなかったので、容顔美麗な百拍子に舞わせ雨を祈らせた。99人まで効果がなかったが最後の静が舞うと黒雲が現れ、3日間雨が降り続いた。その時に源義経が静香を見初めたと言われている。

・疫病が流行り、多くの御霊を鎮めるために66本の鉾(ほこ)を池の周りに立てて厄払いした。それが後世に伝わって、町民の祭典となったのが祇園祭。

・この池が、京都の御池通りの名前の由来である。


だって!!


へーーーーーーーーーーーーーーーー!!!


そんなん、全然知らなかった。

物を知らないってことは怖い★☆


でも、長いこと知らないせいで、知った時の感動がすーぱーデカいから、

ま、いっか。



それにしても、、、

いったい何年京都住んでるんだ、私は?!

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