2011年9月17日土曜日

ゴッホの歪み

とうとう見てしまった。

やはり、もちろん、歪んでいない。。。




今回のパリ旅行の目的の一つ、ゴッホの終焉の場所、オーベルシェルオワーズに行って、この教会まで辿り着くと、自分がそこにいることが本当に本当に不思議な感じがした。


そして何回も、

そりゃ~歪んでないよな~!!


と言葉に出しては、今更ながらゴッホが痛々しく思えて哀しくなった。


あぁ、こんなに歪んでしまって。。。


可哀想に、、、。。。。。。。。。



この土地で人生最後の2か月を過ごしたゴッホはその短い間に何と80枚ほどの絵を描いたという。


そして今は訪れる人のために彼の絵をこうしてその風景の横に飾ってあって、見比べることができるようになっている。


絵も暗いけれど、やはり今もこの場所はそのまま暗い。


ここを見た途端、この土地がいかに宗教的で、そのゴッホの絵にはそれが如実に現れていたことが分かる。

ったく、よりによって、なんでこんな土地を選んだんだ、ゴッホ。。。
と既に悲しみを通り越して腹が立ってきている私だった。




この絵は、




この場所。

ゴッホがここで絵を描いていたまさにその時にワープしたいと思った。



そして話しかけて、


友達になって、


絵をただでもらって、


また今にワープして、


金持ちになるの!!






、、、、、、、じゃ、なかった。





話しかけて、


そして次の日も会いに行って、


話して、



いつしかぶどうを一緒に食べて、



じっと時を過ごすんだ。




途中でお墓まいりもした。

弟のテオドアとこうして並べられている。

綺麗に晴れた秋の日で、


鳥の声も全然しなくて、


まるで自分が絵の中に入ったような穏やかさと静けさだった。


そしてこの絵。





とうとう、来た。


すごかった。



なんていったらいいか、よくわからないし、私はもともと全くゴッホの絵が好きではないけれど、

なんというか、

気持ちがぴきぴきした。


何回もこの風景をゴッホの絵を通して見てきたせいで、

実際にその場所に立つと、まるで以前自分がそこにいたことがあるような、

そんなデジャブにも似た感覚。



はい、ここでニック登場。


ケンカをして、

私からは絶対に話しかけないと決めて、


そうして本当に話しかけないでいた30分後の、


このニックの顔。


ケンカの発端は、



ニックが何かを見て、

それを私には話さないで、

後々になってその見た何かについて語り始めたので、

私がキレた☆のである。



そして、

私も何かを見て、

それをニックには話さず、

ニックが見過ごすのを黙ってやり過ごしたのであったけれど、

それはとっても、

最悪な気分になった。



こんな仕返しをしたのは人生初めてであり、

あぁ、私はとうとう、こういう人間に成り下がったなぁと、

ゴッホの悲哀がこもったこの土地で、

気分はますます落ち込み、

この地点がまさに、ニックとよたよた歩いてきたこの10年の最終地点なんだと思った出来事だった。

そう思っている真っ最中にくるっと振り向いたニックのこの顔。


そしてこの顔がますます、


もう二人の関係は、、ある程度終焉を迎えていて、ここから先は進化しないんだなということを、ゴッホのこの人生最後の場所にふさわしく、悟らせてくれた。



それは付き合うとか付き合わないとかではなくて、

そんなことは全く関係なく、

実際問題、

ニックは私から一番遠い所にいる人間で、

私もニックから一番遠い所にいる人間なんだと思う。


それが10年かけて作った距離なんだと思うと淋しいけれど、

明るく考える私はきっと違うと思う。


もともと10年前にそれだけの距離が開いていて、

あまりに離れ過ぎている距離だから、

10年かけても縮みがわずかだったと、

多分そういうことなんだろうと思う。




そしてカメラも終わりを迎えているらしく、、、

ある程度の枚数を撮るとぶるぶる震えてこうなる。


最近はそんな写真もやけっぱちで好きになっているんだけれど。






ゴッホの下宿先も行ってみた。


あなたの絵が今の世界でどんな高値で売り買いされているか、御存じ?





一日中外で絵を描いて疲れ切ったゴッホがこの階段を上がって部屋に戻ったと想像すると、

辛い。


ゴッホが自殺したということもあって、この建物がその後買われたりすることはなく、よって取り壊されることもなく、こうしてそのままの状態で保たれることが出来たのであるから皮肉だと思う。





ここはゴッホの隣の部屋でオランダ人の学生が下宿していたという。

拳銃自殺を図ってすぐには死ねなかったゴッホが2日ほど苦しみ喘いだその声を聞いたこの彼が、ゴッホの友達でもあるガジェ医師に知らせ、そしてパリにいるゴッホの弟テオドアに伝えに行ったという。

何とも凄まじい数日間だったに違いない。

そしてやっと死んだゴッホ。



その日はニックの誕生日でもある。



最後に、


私がずーーーーーーーーーっと、


うさんくさい


と思っているガジェ医師の家に来た。



お前、いい家に住んどんなーーーーっっ!!
と思ったのは言うまでもない。



絶対絶対絶対、

コイツがゴッホになんかの薬を与えいたに違いないーーーっ!!


その薬が原因で、ゴッホの絵は何もかもが歪んでいるんだーーーっっ!!


と思っている。



するとニックが言った。


「精神科の医者だって」。



ホラぁーーーーーッッッ!!!!!!!



やっぱり、このヤブ医者がなんか変な薬を渡していたんだーーーっっ!!



するとニックが言う、



「いや、友達だったらしく、お金は取らずに絵と交換で見てあげていたらしいよ」。

友達だったら、


手術も必要じゃない精神科だったら、



絵と交換なんかすんなーーーーーーーっっっ!!!



と、いきり立つ私であった。


するとニックが続ける、


「医師が働くことが精神にいいと薦めたから、ゴッホは毎日働いたんだって。へぇ~~~、だから80枚もの絵をあんな短期で完成させているんだねぇ~~!」。


はぁ??


何感心してるのよ!!

患者の神経悪化させてるじゃないか~~~~~~!!!!!!





「でも、働くことは精神に良いというでしょ?」


はい、そーです!!


でもそれが精神が弱っている画家に当てはまるかというかと、そーではありませんっ!



その証拠に2カ月足らずで自殺しておりますっ!!





医師の家の2階に上がると、何やら私の好きそうなものが見えた。




近寄ると、むちゃくちゃ好みのカーテンで、一目惚れ。


まさか、ガジェ医師がこんな綺麗なものを持っていたんではあるまいな!!



帰り道。



ゴッホの下宿屋はこの裏。



今はここはレストランになっている。


駅はこんな感じ。


オーベルシェルオワーズはゴッホの絵を一枚も所有していないらしく、


こんな駅の様子が、


そのちょっと物悲しいような土地の雰囲気を3割増しアップさせていると思う。


それにしても、散策していると、時々カーテンが揺れ動いたりしているのが目に留まり、


あぁ、よそ者が来ればこうしてチラっと確認する土地柄だよな、田舎だものな、


と思ったら、ゴッホがいくらパリの喧噪を逃れたかったとはいえ、


その当時は暗い宗教じみた土地であったに違いないこの場所に、
何も越してくることはなかったのに。。。


と、再び繰り返し強く思った。



パリに戻る前にオーベルシェルオワーズ駅近くで買ったリンゴのタルトを夕食後に食べた。


写真は、今回の滞在で一番マズイタルトだということを、ニックが体全体で表現している図。




こうして念願のオーベルしシェルオワーズに行くことが出来たわけだが、


ゴッホの絵は昔から全く好きではないというか、肉体的に合わず、

見ていると、困ったことに、吐き気を催してくる。

多分それは私の車酔いがひどいことと関係していると思う。

あの、絵の中のグルグルや、歪んだ線を見ると、

本当に目が回ってきて耐えられなくなってくる。


だから美術館でゴッホの絵を見かける度にあまり直視はせず、ササッと通り過ぎるように心がけているのだけれど、なぜかあの教会と畑は実際にこの目で確かめてみなければというのが長年の願いであったので、まさに念願叶ったり。





それにしても疑問に思うのは、誰が一体ゴッホが耳を切った後の自画像を飾りたいのだろう??

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