1793年1月から1794年7月までに、2600人もの貴族や革命家達がここに収容され、断頭台に連れて行かれた。
マリー・アントワネットは1793年10月16日、38歳だった。
連れて行かれる直前には皆いったんこの中庭に引き出され、最後の身支度をしたらしい。
こわ~~い☆
ギロチンなんてもの、よく考え付いたよね~。
昔学校の先生が、
「斧で切ってた時はよく切れないし、必ずしも首に一撃出来た訳ではなかったから、そりゃー惨たんたる有様になったんだ。頭の端や耳や目だけが切られて血が吹き出しても意識は全然あるわけだから、ひどいものだった。そんな処刑をされる方はたまったもんじゃない。そんなだから、ちゃんとした首切り人を確保しようと処刑前にお金を包んだりしたんだ。で、慈悲として発明されたのがギロチンの始まり。」
恐ろしい話だ。。。。。。。。。。
マリーアントワネットが最後に使っていた水差しとハンカチーフを目の前にすると、本当に存在してたんだな~って感じることが出来る。
ふと、フランスという国はあれからあまり変わってないんじゃないかという気がして怖くなった。
国民性はいつの時代も変わらないものだというけれど、それでも、この国は特に。
1 件のコメント:
やーー面白い話だ。
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